八十神(やそがみ)たちは、大国主命が八上比売を得たことを知ると、激しく怒り、命を殺してしまおうと企みました。

彼らは大国主命を伯耆(ほうき)の国の手間山の麓へ連れて行き、こう言いました。
手間山は、現在の鳥取県西伯郡南部町。現在は、手間の要害山と呼ばれています。標高332メートル。
近くには、赤猪岩神社もあります。

「この山には赤い猪がいる。私たちが山の上から追い下ろすから、お前は下で捕まえろ。もし失敗したら、お前を殺すぞ。」
八十神たちは山の上で大きな石を猪に見立て、火で真っ赤に焼いて転がし落としました。

命はそれを本物の猪と思い、捕まえようとして焼け石に抱きつき、全身が焼けただれて絶命してしまいました。
母の刺国若比売(さしくにわかひめ)は深く嘆き、天に昇って神産巣日命(かみむすびのみこと)に救いを願いました。
すると命は赤貝の貝比売(きさがいひめ)と蛤の蛤貝比売(うむぎひめ)を遣わしました。
貝比売は貝殻を削り、粉を乳のような汁にして搾り出し、蛤貝比売がそれを受けて大国主命の身体に塗ると、傷は癒え、命は再び若々しい姿で蘇りました。
これは、古代の火傷の治療法でした。
しかし八十神たちは諦めず、再び命をだまして山に連れ込みました。
彼らは大木を切り倒して割れ目に楔を打ち込み、その中に命を閉じ込め、楔を抜いて挟み殺してしまいました。

母の刺国若比売は泣きながら子を探し歩き、ついにその木を見つけて割り開き、命を引き出して再び蘇らせました。
そして言いました。
「お前がここにいては、いずれ八十神に殺されてしまう。木の国の大屋毘古神(おおやびこのかみ)のもとへ逃げなさい。」
木の国に逃れた大国主命でしたが、そこにも八十神たちが追ってきて矢を射かけました。
木の国は、紀伊国。現在の和歌山県全域と三重県南部。

命は木の股をくぐって必死に逃げ延びました。

母はさらに言いました。
「須佐之男命のおられる地下の根之堅洲国(ねのかたすくに)へ行きなさい。きっと良い知恵を授けてくださるでしょう。」
こうして大国主命は、母の導きによって須佐之男命のもとへ向かうことになったのです。
古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)
貝比賣と蛤貝比賣
かれここに八十神忿りて、大穴牟遲の神を殺さむとあひ議りて、伯伎の國の手間の山本に至りて云はく、「この山に赤猪あり、かれ我どち追ひ下しなば、汝待ち取れ。もし待ち取らずは、かならず汝を殺さむ」といひて、火もちて猪に似たる大石を燒きて、轉し落しき。ここに追ひ下し取る時に、すなはちその石に燒き著かえて死せたまひき。ここにその御祖の命哭き患へて、天にまゐ上りて、神産巣日の命に請したまふ時に、貝比賣と蛤貝比賣とを遣りて、作り活かさしめたまひき。ここに貝比賣きさげ集めて、蛤貝比賣待ち承けて、母の乳汁と塗りしかば、麗しき壯夫になりて出であるきき。
- 伯伎の國の手間の山本(鳥取県西伯郡天津村)
- 御祖の命(母の神)
- 母の乳汁(赤貝の汁をしぼって蛤の貝に受け入れて、母の乳汁として塗った。古代の火傷の療法である)
根の堅州国
ここに八十神見てまた欺きて、山に率て入りて、大樹を切り伏せ、茹矢をその木に打ち立て、その中に入らしめて、すなはちその氷目矢を打ち離ちて、拷ち殺しき。ここにまたその御祖、哭きつつ求ぎしかば、すなはち見得て、その木を拆きて、取り出で活して、その子に告りて言はく、「汝ここにあらば、遂に八十神に滅さえなむ」といひて、木の國の大屋毘古の神の御所に違へ遣りたまひき。ここに八十神覓ぎ追ひ臻りて、矢刺して乞ふ時に、木の俣より漏き逃れて去にき。御祖の命、子に告りていはく、「須佐の男の命のまします根の堅州國にまゐ向きてば、かならずその大神議りたまひなむ」とのりたまひき。
- 茹矢(クサビ形の矢。氷目矢とあるも同じ)
- 木の國(紀伊の国【和歌山県】)
- 大屋毘古の神(家屋の神。イザナギ、イザナミの生んだ子の中にいた。ただしスサノヲの命の子とする説もある)
- 根の堅州國(既出、地下の国)