古事記現代語訳(13)阿比良比売と伊須気余理比売~当芸志美美命の変

日向の妃、阿比良比売
神武天皇は、日向の国においでになった時、阿多之小椅君(あたのをばしのきみ)の妹・阿比良比売(あひらひめ)を妃とし、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)と岐須美美命(きすみみのみこと)の二人の御子をもうけられました。

皇后、伊須気余理比売
しかし、その後、皇后(正妻)となるにふさわしい出身の乙女を求めるようになりました。そこで、大久米命が提案しました。

「でしたら、神の血を引く、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)という美しい乙女がいらっしゃいます。

その昔、三輪の大物主神が、三嶋湟咋(みしまみぞくひ)の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)が厠(かわや/野外のお手洗い)にいる時に、丹塗矢、つまり、赤く塗った矢となって流れてきました、
その矢を姫が持ち帰ると、矢は立派な男性に戻り、契りを結ばれました。その後に生まれたのが、この伊須気余理比売でございます」と。

伊須気余理比売は、最初、富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)という名前でしたが、ホト、つまり、女性の陰部という響きを嫌って、比売多多良伊須気余理比売に改めたのです。

天皇は大久米命を伴って、その女性をご覧に出向かれました。

すると、大和の高佐士野(たかさじの)で乙女が七人野遊びをしており、その中に伊須気余理比売も混ざっていました。

大久米命が「倭の高佐士野に七人の乙女たち、この中のどなたをお召しになりますか?」と歌でおたずねすると、天皇はすぐに悟り、「一番前にいるあの娘を妻としよう」と歌でお答えになりました。

大久米命がその旨を伝えると、姫は不思議そうに彼の目尻の入れ墨を見て、「あなたは、天と地の千人にも打ち勝つ勇者なのに、つばめ、セキレイ、千鳥、ホオジロかしら?どうして目に、そんなに鋭い刺青をしているの?」と歌いました。
大久米命は「私はあなたを探すために、この目を持っているのです」と歌い返しました。
姫の家は佐韋河(さいがわ)のほとりにあり、河原には山百合が咲き誇っていました。山百合のもとの名は佐韋といいます。
天皇はそこに宿をとられ、姫と一晩過ごされました。
のちに姫は宮中に上がり、正式に皇后となられました。

そこで天皇が詠んだ歌は、
葦原の粗末な小屋に、菅の蓆(むしろ)を清らかに敷いて、二人で寝転がったよね。
神武天皇の御子たち
お二人の間には、日子八井命(ひこやいのみこと)、神八井耳命(かむやいみみのみこと)、そして、のちの綏靖(すいぜい)天皇である神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)の三人の御子が生まれました。

神武天皇は後に百三十七歳で崩御され、その御陵は畝傍山北の白檮尾上(かしのおのうえ)に営まれました。

当芸志美美命の変
神武天皇がお隠れになった後、日向でお生まれになった阿比良比売(あひらひめ)の御子・当芸志美美命は、父の皇后であり、今でいう未亡人の伊須気余理比売を娶り、自らの権勢を固めようとしました。

当芸志美美命は、神武天皇が日向の国においでになった時、阿比良比売(あひらひめ)との間に生まれた子供です。

やがて彼は、異母弟たち、日子八井命、神八井耳命、神沼河耳命の三人を討ち滅ぼし、独りで天下を思いのままにしようと企てました。

しかし、その企てをいち早く察したのは、神武天皇の元皇后であり、三人の御子の母君でもある伊須気余理比売でした。
この女性は、現在、当芸志美美命の妃になっているので、非常に複雑です。

伊須気余理比売は御子たちに危険を悟らせるため、次のような歌をお詠みになりました。
佐韋河の方から雲が立ち昇り、畝傍山の木々の葉がざわめいている。昼は雲がたなびくだけだけど、夕暮れには風が荒れ狂い、嵐の前触れのように木の葉が鳴り騒いでいる。

この歌の意味を悟った御子たちは驚き、先手を打って当芸志美美命を討とうと決意されました。
末の弟の神沼河耳命が真ん中の神八井耳命に向かって、

「兄上、あなたが剣を手にし、当芸志美美命を討ってください」と進言しました。
神八井耳命は武器を取って立ち向かいましたが、いざ刃を振るおうとすると手足が震え、どうしても刺すことができませんでした。

そこで神沼河耳命は兄の刃を受け取り、自ら果敢に斬りかかって当芸志美美命を討ち取りました。

このとき神八井耳命は弟に向かい、
「私はあいつを討つことができなかった。しかしあなたは見事に成し遂げたのだから、兄であっても私があなたの上に立つことはできない。あなたこそ天皇となり、天下を治めてください。私は神を祀る役に徹して、あなたに仕えましょう」
と言いました。

こうして神沼河耳命は兄二人に推されて即位し、第二代・綏靖天皇となりました。
綏靖天皇は大和国葛城の高岡宮に都を定めて天下を治め、四十五歳でお隠れになり、御陵は衝田の岡に築かれました。
古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)
大物主の神の御子
かれ日向にましましし時に、阿多の小椅の君が妹、名は阿比良比賣に娶ひて、生みませる子、多藝志美美の命、次に岐須美美の命、二柱ませり。然れども更に、大后とせむ美人を求ぎたまふ時に、大久米の命まをさく、「ここに媛女あり。こを神の御子なりといふ。それ神の御子といふ所以は、三島の湟咋が女、名は勢夜陀多良比賣、それ容姿麗かりければ、美和の大物主の神、見感でて、その美人の大便まる時に、丹塗矢になりて、その大便まる溝より、流れ下りて、その美人の富登を突きき。ここにその美人驚きて、立ち走りいすすぎき。すなはちその矢を持ち來て、床の邊に置きしかば、忽に麗しき壯夫に成りぬ。すなはちその美人に娶ひて生める子、名は富登多多良伊須須岐比賣の命、またの名は比賣多多良伊須氣余理比賣といふ。(こはその富登といふ事を惡みて、後に改へつる名なり。)かれここを以ちて神の御子とはいふ」とまをしき。
ここに七媛女、高佐士野に遊べるに、伊須氣余理比賣その中にありき。ここに大久米の命、その伊須氣余理比賣を見て、歌もちて天皇にまをさく、
七行く 媛女ども、
誰をしまかむ。 (歌謠番號一六)
- 美和の大物主の神(奈良県磯城郡の三輪山の神。前に大国主の神の霊を祀るとしていた。大物主の神をも大国主の神の別名とするのだが、元来は別神だろう)
- 丹塗矢(赤く塗った矢)
- 立ち走りいすすぎき(立ち走り騒いだ)
- 高佐士野(香具山の付近)
- 誰をしまかむ(マカムは纏かむで、手に巻こう。妻としよう)
- かつがつも(わずかに)
- 黥ける利目(目じりに入墨をして目を鋭く見せようとした)
- ちどりましとと(語義不明。千人に勝れる人の義という)
- 直に逢はむ(直接に逢おうとして)
菅疊 いや清敷きて、
わが二人寢し。 (歌謠番號二〇)
- 狹井河(三輪山から出る川)
- しけしき小屋に(きたない小舍に)
- いや清敷きて(菅で編んだ敷物をさっぱりと敷いて)
- 神沼河耳の命(綏靖天皇)
當藝志美美の命の変
かれ天皇崩りまして後に、その庶兄當藝志美美の命、その嫡后伊須氣余理比賣に娶へる時に、その三柱の弟たちを殺せむとして、謀るほどに、その御祖伊須氣余理比賣、患苦へまして、歌もちてその御子たちに知らしめむとして歌よみしたまひしく、
畝火山 木の葉さやぎぬ。
風吹かむとす。 (歌謠番號二一)
また歌よみしたまひしく、
夕されば 風吹かむとぞ
木の葉さやげる。 (歌謠番號二二)
- とゐ(トヰは、同様する意の動詞。トヰナミ(萬葉集)のトヰと同語)
- 兵を持ちて入りて(武器を持って)
- 忌人(潔斎をして無事を祈る人。祭をおこなう人)
- 意富の臣(古事記の撰者、太の安麻呂の系統)















