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古事記現代語訳

古事記現代語訳(5)三貴子誕生

伊邪那岐命は、黄泉の国から戻られて言いました。

「私はひどく穢れた国へ行ってしまった。をして身を清めよう。」

そうして、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(ひむかのたちばなのをどのあはぎはら)へ赴き、川で禊(みそぎ)を行いました。

禊とは、水で体を洗い、罪や穢れを祓う儀式で、語源は「水そそぎ」といわれます。現在でも神社に参拝する際、手水舎で手や口を清めるのは、この禊の名残です。

宮崎市の阿波岐原森林公園の池は、この禊の地と伝えられ、境内には伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る江田神社があります。

引用元:みやざき観光ナビ

伊邪那岐命が身につけていた物を一つずつ脱ぎ捨てると、そのたびに神が生まれました。

杖を投げれば衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)、帯からは道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)、袋からは時置師神(ときはかしのかみ)、衣からは和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)、褌からは道俣神(ちまたのかみ)、冠からは飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)。

さらに、左手の腕輪からは奥疎神(おきざかるのかみ)、奥津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)、奥津甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ)、右手の腕輪からは辺疎神(へざかるのかみ)、辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)。

こうして十二柱の神々が現れました。

続いて、川の流れを見て伊邪那岐命は言います。

「上流は流れが急すぎる、下流は弱すぎる。」

そう言って中ほどの流れに入り、水で体を洗いました。

すると、黄泉の穢れから八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)が生まれました。

その禍を祓うため、神直毘神(かむなおびのかみ)、大直毘神(おおなおびのかみ)、伊豆能売神(いづのめのかみ)が現れました。

さらに、水底で体を洗うと底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、底筒之男命(そこづつのおのみこと)、水中で洗うと中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、中筒之男命(なかづつのおのみこと)、水面で洗うと上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)、上筒之男命(うわづつのおのみこと)が生まれました。

筒之男三神は、現在の住吉大社に祀られる神々です。

そして、最後に顔を清めたとき、三柱の尊い御子が生まれました。

左の目を洗ったときに生まれたのは、日の神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)。

右の目からは、夜を司る月読命(つくよみのみこと)。

そして鼻を洗ったときに、海原を治める建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれました。

伊邪那岐命は大変喜びました。

「私は数多くの子をもうけたが、最後に最も尊い三柱の御子を得た。」

そう言って首にかけていた玉の緒を揺らし、天照大御神に授けました。

日本書紀で、天照大神は、大日孁貴(おおひるめのむち)や日神(ひのかみ)と呼ばれています。

この玉を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)と呼びます。そして命じました。

「あなたは高天原を治めなさい。」

次に月読命に命じます。

「あなたは夜の食国(よるのおすくに)を治めなさい。」

須佐之男命にはこう告げました。

「あなたは海原を治めなさい。」

天照大御神と月読命は命を受けて、それぞれ天と夜を治めました。

しかし須佐之男命だけは従わず、成長して立派な鬚が胸に垂れる年齢になっても、ただ泣きわめいてばかりでした。

その泣き声は激しく、青山を枯れ山にし、海や川の水を干上がらせるほど。

やがて世の中に騒乱が広がり、あらゆる災いが起こりました。

そこで伊邪那岐命は須佐之男命を問いただしました。

「なぜ命じられた国を治めず、泣きわめくのか。」

須佐之男命は答えます。

「私は母のいる黄泉の国へ行きたいのです。その思いで泣いています。」

伊邪那岐命は激怒しました。

「ならば、もはやこの国に住むことは許されない。」

こうして須佐之男命は追放されることになったのです。

伊邪那岐命はその後、淡路の多賀大社に鎮まり祀られました。

引用元:flickr

多賀大社は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にあります。「お伊勢参らばお多賀へ参れ、 お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」との俗謡があります。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

身禊

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「はいなしこめ醜めききたなき國に到りてありけり。かれ吾は御身おほみまはらへせむ」とのりたまひて、竺紫つくし日向ひむかの橘の小門をど阿波岐あはぎに到りまして、みそはらへたまひき。かれ投げつる御杖に成りませる神の名は、船戸ふなどの神。次に投げ棄つる御帶に成りませる神の名は、みち長乳齒ながちはの神。次に投げ棄つる御嚢みふくろに成りませる神の名は、時量師ときはかしの神。次に投げ棄つる御けしに成りませる神の名は、煩累わづらひ大人うしの神。次に投げ棄つる御はかまに成りませる神の名は、道俣ちまたの神。次に投げ棄つる御冠みかがふりに成りませる神の名は、飽咋あきぐひ大人うしの神。次に投げ棄つる左の御手の手纏たまきに成りませる神の名は、奧疎おきざかるの神。次に奧津那藝佐毘古おきつなぎさびこの神。次に奧津甲斐辨羅かひべらの神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、邊疎へざかるの神。次に邊津那藝佐毘古へつなぎさびこの神。次に邊津甲斐辨羅へつかひべらの神。

  • め醜めきき國(大変醜い穢い世界)
  • 阿波岐(九州の諸地方に伝説地があるが不明。アハギは樹名だろうが不明。日本書紀に「檍原」と書く)
  • 船戸の神(道路に立つて惡魔が来るのを追い返す神。柱の形であるから杖によって成ったという)
  • 長乳齒の神(道路の長さの神。道路そのものに威力ありとする思想)
  • 時量師の神(時置師の神とも伝わる。時間がかかる意であろう)
  • 煩累大人の神(疲労の神霊)
  • 道俣の神(二股になっている道路の神)
  • 飽咋大人の神(口をあけて食う神霊。魔物をである)
  • 奧疎の神(以下は禊をする土地の説明)
右のくだり船戸ふなどの神より下、邊津甲斐辨羅の神より前、十二神とをまりふたはしらは、身にけたる物を脱ぎうてたまひしに因りて、りませる神なり。
ここに詔りたまはく、「かみは瀬速し、しもつ瀬は弱し」とりたまひて、初めてなかつ瀬にかづきて、滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日やそまがつびの神。次に大禍津日おほまがつひの神。この二神ふたはしらは、かの穢きき國に到りたまひし時の、汚垢けがれによりて成りませる神なり。次にそのまがを直さむとして成りませる神の名は、神直毘かむなほびの神。次に大直毘おほなほびの神。次に伊豆能賣いづのめ。次に水底みなそこに滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見そこつわたつみの神。次に底筒そこづつの命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見なかつわたつみの神。次に中筒なかづつの命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見うはつわたつみの神。次に上筒うはづつの命。この三柱の綿津見の神は、阿曇あづみむらじ等が祖神おやがみいつく神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志日金拆うつしひがなさくの命の子孫のちなり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、すみの三前の大神なり。

 

  • 八十禍津日の神(災禍の神霊)
  • 大直毘の神(災禍を拂ってよくする思想の神格化。曲ったものを真っ直ぐにするという形で表現している)
  • 伊豆能賣(威力のある女。巫女である)
  • 底津綿津見の神~上筒の命(以下六神、海の神。安曇系と住吉系と二種の神話の混合。)
  • の三前の大神(住吉神社の祭神。西方の海岸にこの神の信仰がある)
ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照あまてらす大御神おほみかみ。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月讀つくよみの命。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐たけはやすさの命。
右の件、八十禍津日やそまがつびの神より下、速須佐はやすさの命より前、十柱の神は、御身を滌ぎたまひしに因りてれませる神なり。

 

  • 月讀の命(月の神、男神。日本書紀にはこの神が保食うけもちの神【穀物の神】を殺す神話がある)
  • 速須佐の命(暴風の神であり出雲系の英雄でもある)
  • 十柱の神(実数十四神。イヅノメと海神の一組三神とを除けば十神になる)
この時伊耶那岐の命いたく歡ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みのはてに、三柱の貴子うづみこを得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠みくびたまの玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は高天の原を知らせ」と、言依ことよさして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板擧みくらたなの神といふ。次に月讀の命に詔りたまはく、「汝が命はをすを知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐たけはやすさの命に詔りたまはく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまひき。

 

  • 御頸珠の玉の緒ももゆらに取りゆらかして(首にかけた珠の緒もゆらゆらとゆり鳴らして)
  • 御倉板擧の神(棚の上に安置してある神靈の義)
  • (夜の領国。神話は伝わっていない)
かれおのもおのもよさし賜へる命のまにま知らしめす中に、速須佐の男の命、依さしたまへる國を知らさずて、八拳須やつかひげ心前むなさきに至るまで、啼きいさちき。その泣くさまは、青山は枯山なす泣き枯らし河海うみかはことごとに泣きしき。ここを以ちてあらぶる神の音なひ狹蠅さばへなす皆滿ち、萬の物のわざはひ悉におこりき。かれ伊耶那岐の大御神、速須佐の男の命に詔りたまはく、「何とかもいましは言依させる國をらさずて、哭きいさちる」とのりたまへば、答へ白さく、「ははの國堅洲かたすに罷らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神、いたく忿らして詔りたまはく、「然らば汝はこの國にはなとどまりそ」と詔りたまひて、すなはち神逐かむやらひにやらひたまひき。かれその伊耶那岐の大神は、淡路の多賀たがにまします。

 

  • 八拳須心前に至るまで、啼きいさちき(長い髯が胸元までのびるまで泣きわめいた。以下暴風の性質にもとづく敍述)
  • ぶる神の音なひ(乱暴な神の物音。暴風の騒ぎ)
  • の國根堅洲(死んだ母の国。イザナミの神の行っている黄泉の国である地下の堅い土の世界。暴風がみずから地下へ行こうと言つたとする)
  • 神逐ひにひたまひき(神が追い払った。暴風を父の神が放逐したとする思想)
  • 淡路の多賀(真福寺本には淡海の多賀とする。イザナギの命の信仰は、淡路方面に広がっていた