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古事記現代語訳

古事記現代語訳(45)速総別王と女鳥王の謀反

仁徳天皇はあるとき、女鳥王(めとりのおう)という身分高い女性を宮中に召し上げようと思われ、弟の速総別王(はやぶさわけのおう)を仲人にお立てになりました。

ところが女鳥王は速総別王に向かって、

「私は宮中へはお仕えできません。皇后様はたいへん嫉妬深く、八田若郎女でさえ耐えかねて下がってしまったほどです。ですから、私などが務まるはずがありません。それよりも、あなた様の妻にしてくださいませ」

と申しました。

速総別王はこれを受け入れ、女鳥王を妻とし、仁徳天皇には報告しませんでした。

やがて仁徳天皇は、直接女鳥王のお住まいへ赴かれ、戸口の敷居にお立ちになって中を覗かれると、女鳥王は機を織っていました。

天皇は歌に託して、

「女鳥王よ、その布は誰のために織っているのか」

とお尋ねになりました。

女鳥王もまた歌で、

「これは大空高く飛ぶ速総別王のお羽織のためです」

と答えました。

仁徳天皇はそれをお聞きになり、二人の仲を悟って黙って宮へお帰りになりました。

その後、女鳥王は速総別王に歌いました。

雲雀(ひばり)でさえ天に駆け上がります。大空高く飛ぶハヤブサの王様、さあ雀(すずめ)を仕留めなさい

ここでいう雀とは、大雀命のことを指し、「早く仁徳天皇を討って位を奪え」という意味なのです。

このことがやがて仁徳天皇のお耳に入り、天皇は兵を遣わして二人を討たせました。

速総別王と女鳥王は倉橋山に逃げました。しかし倉橋山は、か弱い女鳥王は速総別王の手を借りなければ登れないほどの急な坂道でした。

王は妻の手をとって、

倉橋山は梯子を真っ直ぐに立てたように険しいけれど、妻が手を握ってくれるからこそ登れるのだ。

と歌いながらなんとか登りきりました。しかし、ついに宇陀の曽爾に辿り着いたところで、兵に追いつかれ、二人は討たれてしまいました。

倉橋山は、奈良県桜井市倉橋の音羽山(852m)、多武峯(とうのみね)の最高峰、御破裂山(ごはれつやま)(607m)など、いくつかの説があります。倉橋はため池で有名。

宇陀の曽爾は、現在の奈良県宇陀郡曽爾村です。現在、曾爾高原はススキで有名です。

その軍を率いたのは山部大楯連(やまべのおおたてのむらじ)でした。

大楯は女鳥王の亡骸から、美しい玉の腕飾りを奪い、自分の妻に贈りました。

のちに宮中で宴が催され、臣下たちの妻たちが列席したとき、大楯の妻はその腕飾りを誇らしげに手に巻いて参りました。

皇后の石之日売は列席の妻たちに柏の葉でお酒をお与えになりましたが、その腕飾りに見覚えがあったため、大楯の妻にだけはお酒を与えず、すぐに宴席から追い出しました。

そして大楯を呼び出し、

「速総別王と女鳥王は大罪を犯したので討たれました。それは当然のことです。しかし、二人はあなたよりずっと身分の高い王たちです。そんな女鳥王のまだ温かい亡骸から腕飾りを剝ぎ取り、それを自分の妻に贈るなんて、あなたはあまりにも非道です」

と仰せになり、大楯を死罪に処されました。

仁徳天皇の御世、免寸河(うきがわ)の西のほとりに、そびえ立つ一本の大木がありました。

朝日を受ければその影は淡路島に届き、夕日を浴びれば河内の高安山を越えるほどでありました。

里人がこの大木を伐って船を造りますと、それは驚くほど早く進む船となり、「枯野(からの)」と名づけられました。

その船で朝夕に淡路島の清水を汲みにいき、宮中に飲み水として献じていました。

やがてその船が壊れると、人々は木材を燃やして塩を焼き、焼け残った木で琴を作りました。

すると、その音色は遙か七つの郷まで響きわたり、まるで由良の海峡の風に揺れる、岩礁の海に浸かっている木のように、さやさやと鳴り響いたと伝えられます。

このような伝承が残る仁徳天皇は、ついに御年八十三にして崩御されました。御陵は毛受(もず)の耳原にあります。

免寸河」は、大阪府高石市取石の等乃伎(とのぎ)神社の東南を流れる現在の「富木川(とのきかわ)」のことだとされています。富木川の下流は芦田川といいます。

河内の高安山は、大阪府八尾市と奈良県生駒郡との境に位置する山。標高は487.5メートルです。

由良の海峡は、現在の紀淡海峡(きたんかいきょう)で、本州の紀伊半島と淡路島に挟まれた海峡のこと。

御陵は毛受(もず)の耳原は、大阪府堺市堺市北区百舌鳥西之町にある大仙古墳だとされています。全長486メートルに及ぶ日本最大の前方後円墳。この古墳を作るのに1日に1000人が働いて、15年以上かかったと推測されています。この御陵は、天皇生前に工事をしました。その時に鹿の耳の中からモズが飛び出したからという理由でこの地名となりました。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

速總別の王と女鳥の王

また天皇、その弟速總別の王なかだちとして、庶妹ままいも女鳥めとりの王を乞ひたまひき。ここに女鳥の王、速總別の王に語りて曰はく、「大后のおずきに因りて、八田の若郎女を治めたまはず。かれ仕へまつらじと思ふ。は汝が命のにならむ」といひて、すなはちひましつ。ここを以ちて速總別の王復奏かへりごとまをさざりき。ここに天皇、ただに女鳥の王のいます所にいでまして、その殿戸のしきみの上にいましき。ここに女鳥の王はたにまして、みそ織りたまふ。ここに天皇、歌よみしたまひしく、

女鳥の 吾がおほきみの ろすはた
たねろかも。  (歌謠番號六七)

女鳥の王、答へ歌ひたまひしく、

高行くや 速總別の みおすひがね。  (歌謠番號六八)

かれ天皇、その心を知らして、宮に還り入りましき。
この時、そのひこぢ速總別の王の來れる時に、そのみめ女鳥の王の歌ひたまひしく、

雲雀ひばりは あめかけ
高行くや 速總別、
鷦鷯さざき取らさね。  (歌謠番號六九)
天皇この歌を聞かして、軍を興して、りたまはむとす。ここに速總別の王、女鳥の王、共に逃れ退きて、倉椅山くらはしやまあがりましき。ここに速總別の王歌ひたまひしく、
梯立ての 倉椅山を さがしみと
岩かきかねて が手取らすも。  (歌謠番號七〇)

また歌ひたまひしく、

梯立ての 倉椅山は 嶮しけど、
妹と登れば 嶮しくもあらず。  (歌謠番號七一)
かれそこより逃れて、宇陀うだ蘇邇そにに到りましし時に、御軍追ひ到りて、せまつりき。
その將軍いくさのきみ山部やまべ大楯おほたてむらじ、その女鳥の王の、御手にかせる玉釧たまくしろを取りて、おのがに與へき。この時の後、豐のあかりしたまはむとする時に、氏氏の女どもみな朝參みかどまゐりす。ここに大楯の連が妻、その王の玉釧を、おのが手にきてまゐけり。ここに大后いはの日賣の命、みづから大御酒のかしはを取らして、もろもろ氏氏の女どもに賜ひき。ここに大后、その玉釧を見知りたまひて、御酒の栢を賜はずて、すなはち引き退けて、その夫大楯の連を召し出でて、詔りたまはく、「その王たちゐやなきに因りて退けたまへる、こはしき事無きのみ。それの奴や、おのが君の御手に纏かせる玉釧を、膚も煴あたたけきに剥ぎ持ち來て、おのが妻に與へつること」と詔りたまひて、死刑ころすつみに行ひたまひき。

 

  • 速總別の王(猛禽のハヤブサを名としている王。ハヤブサとサザキ(ミソサザイ)とが女鳥を争ったという鳥類物語が原形だろう)
  • 大后の強きに因りて(皇后は嫉妬深く、もてあましている)
  • 治めたまはず(思うようになされない)
  • ろす(織らす機に同じ。お織りになっている機織り物)
  • ろかも(ロは接尾語)
  • 高行くや(叙述による枕詞)
  • みおすひがね(御おすいの材料)
  • 雲雀(高行くの比喩)
  • 倉椅山(奈良県磯城郡の東方の山)
  • 梯立ての(叙述による枕詞。階段を立てる意で倉を修飾する)
  • 岩かきかねて(岩に手をかけ得ないで。「霰ふる杵島きしまたけをさかしみと草とりかねて妹が手を取る」(肥前國風土記))
  • 宇陀蘇邇(奈良県宇陀郡)
  • 玉釧(美しい腕輪)
  • 氏氏の女どもみな朝參りす(諸家の女たちが宮廷に出た)
  • 大御酒の(御酒を盛った御綱栢)
  • その王たち(ハヤブサワケと女鳥の王)

枯野(からの)という船

この御世に、兔寸うきの西の方に、高樹たかきあり。その樹の影、朝日に當れば、淡道あはぢ島におよび、夕日に當れば、高安山を越えき。かれこの樹を切りて、船に作れるに、いとく行く船なりけり。時にその船に名づけて枯野からのといふ。かれこの船を以ちて、旦夕あさよひに淡道島の寒泉しみづを酌みて、大御もひ獻る。この船のやぶれたるもちて、鹽を燒き、その燒けのこりの木を取りて、琴に作るに、その音七里ななさとに聞ゆ。ここに歌よみて曰ひしく、
枯野からぬを 鹽に燒き、
あまり 琴に造り、
掻き彈く 由良ゆら
門中となかの 海石いくり
振れ立つ 浸漬なづの木のさやさや。  (歌謠番號七五)
こは志都歌の歌ひ返しなり。
この天皇の御年八十三歳やそぢあまりみつ(丁卯の年八月十五日崩りたまひき。)御陵は毛受もず耳原みみはらにあり。

 

  • 兔寸(所在不明。物語によれば大阪平野のうちである)
  • 高安山(大阪府中河内郡。信貴山)
  • (ヤは間投の助詞)
  • 由良(大阪湾口の由良海峡。【紀淡海峡】)
  • 海石(海中の石、暗礁)
  • 浸漬の木の(海水に浸っている木のように)
  • さやさや(音がさわやかであること)
  • 毛受耳原(大阪府泉南郡。この御陵は、天皇生前に工事をした。その時に鹿の耳の中からモズが飛び出したから地名とするという)