大長谷若建命(おおはつせのわかたけのみこと)、のちの第21代雄略天皇は、やがて大和の長谷(はつせ)の朝倉宮にお遷りになり、天下をお治めになりました。
この御代には、大陸から呉人(くれびと)が渡来し、その人々を置いた土地を呉原(くれはら)と呼びました。
天皇は、亡き大日下王の妹にあたる若日下王を皇后とされました。
あるとき、皇后が河内の日下におられたので、雄略天皇は大和から近道の日下の直越(ただごえ)の峠を越えて、皇后のもとへお向かいになりました。
その道中、天皇が山の上に登り、四方の村々を見渡されますと、屋根の棟に鰹木を載せた一軒の家が目にとまりました。
鰹木は本来、天皇の宮殿か神社でなければ許されぬ格式の飾りであります。
天皇はお供の者に尋ねられました。
「あの飾り木を載せた家は誰の家か?」
「志幾(しき)の大県主の家でございます」と答えが返りました。
これをお聞きになった天皇は、
「不遜なやつめ、自らの家をわが宮に似せて造っているな!」とお怒りになり、家を焼き払えと命じられました。
大県主は恐れおののき、平伏して申しました。
「愚かにも分をわきまえず、過ってこのように造ってしまいました。
どうかお許しくださいませ」と謝罪し、詫びの印として一匹の白犬を献上しました。
犬には布をまとわせ、鈴を飾り、腰佩(こしはき)という身内に縄を取らせて差し出したのです。
天皇はこれを受け入れ、家を焼くことはお許しになりました。
やがて皇后のもとに到り、白犬を差し出して仰せになりました。
「これは今日の道中で得た珍しい生き物だ。結納の品としておまえに贈ろう」
しかし若日下王は、静かに答えられました。
「本日あなたは太陽を背にしてお越しになりました。それは天照大神に対して畏れ多いこと。ゆえに今日はお会いできません。改めて私の方からお仕えに参りましょう」
こうして天皇は一人お戻りの途中、山の坂に立ちとどまり、皇后を慕う思いを歌に託されました。
――日下部の山と、平群の山との谷間谷間に繁る樫の木よ。
その根には笹が茂り、枝先には竹が繁る。
あの竹のように、まだ共寝をしていない、愛しい妻よ、ああ。――
この御歌を若日下王へお送りになり、その後まもなく皇后は朝倉宮へお上がりになりました。