火遠理命は海のお宮から地上に戻りましたが、妻の豊玉比売は身ごもっていました。
やがて臨月を迎え、「天の神の御子を海中で産むべきではない」と考え、海を越えて地上へとやって来ました。
火遠理命は急いで産屋を建てました。
屋根は鵜の羽を重ねて葺きましたが、まだ作り終わらぬうちに豊玉比売は産気づき、中へ入りました。
そのとき彼女は、「人は皆、自分の国の習わしで産みます。私は本来の姿に戻って出産します。どうか覗かないでください」と夫に頼みました。
しかし火遠理命は心配になり、隙間から覗いてしまいます。
そこには、八尋もある大鮫となった豊玉比売が、うなりながら出産する姿がありました。
命は恐れて逃げ出し、豊玉比売は覗かれたことを恥ずかしく思い、子供を残したまま「もうここへは通ってくることはできません」と言い残し、海の道を閉ざして帰ってしまいました。
「見るな」のタブー破りは、伊邪那岐命と伊邪那美命の黄泉の国の話やギリシャ神話のオルフェウスの神話に似ています。鶴の恩返しや雪女など、古今東西共通のテーマです。
こうして生まれた御子は、屋根が葺き終わらぬ産屋で誕生したため、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と名付けられました。
宮崎の日南市にある鵜戸神宮(うどじんぐう)は、豊玉比売が産屋を構えた地に建つ洞窟神社とされ、縁結びや安産のご利益で知られています。主祭神は、鵜葺草葺不合命です。
洞窟内の「御乳岩」は、息子のために自分の乳房を岩に貼り付けていった跡とされ、岩から滴る乳水で、鵜葺草葺不合命は育ったと伝えられています。現在は、飴になっているので神社でいただけます。
お世話をする母のいない御子の養育は、豊玉比売の妹・玉依比売に託されました。
豊玉比売は恨みを抱きつつも夫を恋しく思い、妹に託して歌を贈りました。
「赤い玉はその紐まで光り輝くほど立派であるが、白い玉のようなあなたの姿は、さらに尊く美しい」
火遠理命はこの歌に応えて、
「水鳥の鴨が降り着く島で契を結んだ私の妻は忘れられない。世の終りまでも」と誓いの歌を返しました。
火遠理命は高千穂宮に五百八十年留まり、やがて世を去ります。御陵はその高千穂の山の西にあります。
成長した鵜葺草葺不合命は叔母の玉依比売を妃とし、五瀬命(いつせのみこと)、稲飯命 (いないのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)と、のちに神武天皇になる神倭伊波礼毘古命 (かむやまといわれびこのみこと)の四子をもうけました。
御毛沼命は常世国へと渡り、稲飯命は母の国である海原へ入りました。
末子の伊波礼毘古命が高千穂に残り、東征を経て天下を治めました。
日本書紀では、四人兄弟全員が東征に参加しましたが、長男の五瀬命の死後、伊波礼毘古命以外の二人も海に入り、消息を絶っています。
伊波礼毘古命の生誕地は、宮崎県西諸県郡高原町の皇子原(おうじばる)神社とされています。狭野神社(さのじんじゃ)の末社で、伊波礼毘古命はご幼名を狭野尊(サノノミコト)といいます。