応神天皇は、ある日、御子である大山守命(おおやまもりのみこと)と大雀命(おおさざきのみこと)のお二人をお呼びになり、こうお尋ねになりました。
「おまえたち、子どもというものは、兄と弟とでは、どちらが可愛いと思うか?」
大山守命はすぐに、
「それはもちろん、兄の方が可愛いと思います」
と、あまり深く考えずに答えました。
しかし大雀命は、このお言葉の裏にある父帝のご意図を悟りました。
つまり父上は、私たち兄二人を差し置いても、腹違いの弟の宇遅能和紀郎子に位を譲ろうとお考えなのだ、そう察したのです。ちなみに大山守命と大雀命も異母兄弟です。
そこで大雀命は、
「私は弟の方が可愛いと思います。兄の方はもう成人しており、心配はございません。しかし弟はまだ幼いので、心配でもございます」
と、父の思いに寄り添うように答えました。
応神天皇はこれをお聞きになり、
「雀(さざき)よ、お前の言う通りだ。私の心も同じである」
と仰せられました。
三人の中で一番年下の宇遅能和紀郎子は、応神天皇が木幡の村で出会った宮主矢河枝比売(みやぬしやがわえひめ)の御子でした。
応神天皇は、この矢河枝比売が一番のお気に入りなのでしょう。
そして、三人それぞれに役割をお与えになりました。
「大山守は、海と山とを司れ。雀は、次期天皇となる弟を補佐し、政を取り仕切れ。そして和紀郎子には、いずれ私の跡を継いで帝位につかせよう」
こうして応神天皇は御心を明らかにされました。
のちに大山守命は、この詔に背き、弟を亡きものにしようと企てますが、大雀命だけは最後まで父帝の命に従い、腹違いの弟の和紀郎子を助けて忠義を尽くしました。
その後、品陀和気命、第十五代・応神天皇は、御年百三十にして崩御なさいました。御陵は河内の恵我藻伏岡(もふしのおか)に営まれました。
今日、羽曳野市にある誉田御廟山(こんだごびょうやまこふん)古墳という前方後円墳、応神天皇陵と伝えられています。
応神天皇を祀る神社は八幡宮、八幡神社、八幡さまと呼ばれ、その数は1万社とも2万社ともいわれ、この数は、稲荷神社に次いで全国2位です。主にお母さまの神功皇后と一緒に祀られています。
大分県宇佐市の宇佐神宮、京都府八幡市の石清水八幡宮、福岡市東区の筥崎宮、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮が有名です。