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古事記現代語訳

古事記現代語訳(36)応神天皇の誕生

品陀和気命(ほむだわけのみこと)、第十五代・応神天皇は、大和の軽島豊明宮(かるしまのとよあきらのみや)においでになり、天下をお治めになりました。

神功皇后が大和に凱旋されたのち、建内宿禰はまだ幼い天皇をお連れして、まずは戦の穢れを祓うために近江や若狭を巡り、越前の鹿角(つぬが)の地に仮宮を建ててお住まい申し上げました。

その折、土地の神・伊奢沙和気大神(いささわけのおおかみ)が夜の夢に現れ、大臣の竹内宿禰にこう告げました。

「私の名を、この御子のお名前と取り替えていただきたい」

宿禰は恐れ入り、「ありがたくお受け致します」と答えました。すると大神は続けて仰せられました。

「明日の朝、浜辺に参られよ。名前を替えた証に贈り物を献じよう」

翌朝、宿禰が応神天皇をお連れして浜に出ると、鼻の先が潰れた多くのイルカが打ち上げられていました。

これを見て宿禰は、社に使いを立てて、「御饌のお魚をどっさり賜り、ありがとうございます」と感謝を申し上げました。

その時より、この神を「御食津大神(みけつおおかみ)」と称え、今は「気比大神」と呼びます。

また、イルカの鼻から流れた血が浦を染めたので、鹿角(つぬが)を「血浦」と呼ぶようになり、後に「敦賀」と称するようになりました。

大和の軽島豊明宮は、現在の奈良県橿原市大軽町にあったとされています。大軽春日神社の境内には、伝承碑と飛鳥時代に創建されたと伝わる軽寺跡があります。

福岡県敦賀市の気比神宮は、この伊奢沙和気大神を主祭神に、仲哀天皇と神功皇后も祀っています。

やがて応神天皇は母君の待つ大和へお還りになりました。神功皇后は歓喜され、さっそくお酒を醸して天皇に献じながら、次の歌をお詠みになりました。

「このお酒は、私が醸したものではございません。常世国におられる久志能加美、御神酒の神の少名毘古那神が、御子の強運を祝って、喜び舞いながら造られた神酒でございます。さあ、盃を乾かさず召し上がってくださいませ」

これに対して、建内宿禰は応神天皇に代わり、次の歌をお答え申し上げました。少名毘古那神は大国主と一緒に国造りをした小柄な神様です。

すると、建内宿禰が応神天皇のために歌われました。

「このお酒を醸した人は、臼を太鼓に見立てて、歌いながら舞いながら造ったゆえか、じっくり味わえば自然に歌いたく舞いたくなる、不思議に楽しいお酒でございます」

これは「酒楽(さけくら)の歌」と呼ばれ、御代を寿ぐ祝いの歌となりました。

このようにして応神天皇は、母・神功皇后の大いなる功績を継ぎ、天下をお治めになるに至ったのです。

神功皇后様は御年百歳でお隠れになりました。狹城(さき)の楯列(たたなみ)の御陵にお葬り申し上げました。

少名毘古那神は、大国主命の相棒として、国造りをした小柄な神様。国造り完了前に、突然、海外に行ってしまったとされています。

狹城の楯列の御陵、狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)は、五社神古墳(ごさしこふん)とも呼ばれ、奈良市山陵町にあります。全長267メートルの前方後円墳。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

気比の大神

かれ建内の宿禰の命、その太子ひつぎのみこまつりて、御禊みそぎせむとして、淡海また若狹の國を經歴めぐりたまふ時に、高志こしみちのくち角鹿つぬがに、假宮を造りてませまつりき。ここに其地そこにます伊奢沙和氣いざさわけの大神の命、夜のいめに見えて、「吾が名を御子の御名に易へまくほし」とのりたまひき。ここに言祷ことほぎて白さく、「恐し、命のまにまに、易へまつらむ」とまをす。またその神詔りたまはく、「明日あすあした濱にいでますべし。易名なかへみやじり獻らむ」とのりたまふ。かれその旦濱にいでます時に、鼻やぶれたる入鹿魚いるか、既に一浦に依れり。ここに御子、神に白さしめたまはく、「我に御食みけ給へり」とまをしたまひき。かれまたその御名をたたへて御食津みけつ大神とまをす。かれ今に氣比けひの大神とまをす。またその入鹿魚いるかの鼻の血くさかりき。かれその浦に名づけて血浦といふ。今は都奴賀つぬがといふなり。

  • 御禊(水によって穢を祓う行事)
  • 角鹿(越前の国の敦賀市)
  • 伊奢沙和氣の大神の命(敦賀市気比神宮の祭神)
  • 易名(名を取り替えた印の贈り物)

酒楽(さけらく)の歌曲

ここに還り上ります時に、その御祖みおや息長帶日賣の命、待酒を釀みて獻りき。ここにその御祖、御歌よみしたまひしく、

この御酒みきは わが御酒ならず。
くしかみ 常世とこよにいます
いはたす 少名すくな御神の、
神壽かむほき 壽きくるほし
豐壽とよほき 壽きもとほし
まつし 御酒みき
さずをせささ。  (歌謠番號四〇)
かく歌ひたまひて、大御酒獻りき。ここに建内の宿禰の命、御子のために答へて歌ひして曰ひしく、
この御酒を みけむ人は、
そのつづみ 臼に立てて
歌ひつつ みけれかも
舞ひつつ みけれかも、
この御酒の 御酒の
あやに うただの。ささ。  (歌謠番號四一)
こは酒樂さかくらの歌なり。
およそこの帶中津日子たらしなかつひこの天皇の御年五十二歳いそぢまりふたつ(壬戌の年六月十一日崩りたまひき。)御陵は河内の惠賀ゑが長江ながえにあり。皇后は御年一百歳にして崩りましき。狹城さき楯列たたなみの陵に葬めまつりき。

 

  • 待酒(人を待って飲む酒)
  • (酒を司る長官。原文【久志能加美】美はミの甲類の字であり、神のミは乙類であるから、酒の神とする説は誤り)
  • 常世(永久の世界。また海外。スクナビコナは海外へ渡ったという)
  • たす(石のように立っておいでになる)
  • 少名御神(スクナビコナに同じ)
  • 豐壽き 壽きもとほし(祝い言をさまざまにして)
  • さずをせ(盃が乾かないように続けて召し上がれ)
  • ささ(はやし詞)
  • (後世のツヅミの大きいもの。太鼓)
  • 臼に立てて(酒を醸す入れ物として)
  • みけれかも(酒を作ったからか。疑問の已然条件法)
  • うた(大変にたのしい)
  • 酒樂(歌曲の名。この二首、琴歌譜【きんかふ】にもある)
  • 惠賀長江(大阪府南河内郡)
  • 狹城楯列の陵(奈良県生駒郡)