神社と神話
神社で開運!
古事記現代語訳

古事記現代語訳(29)倭建命①大碓命の不実

第十二代、景行天皇、大帯日子淤斯呂和気(おおたらしひこおしろわけ)は、大和の纏向の日代宮においでになり、天下をお治めになりました。

天皇は御身の丈が一丈二寸(約3.6メートル)、お膝から下が四尺一寸(約1.25メートル)という、まことに立派なお体格でいらっしゃいました。

天皇には八十人もの御子がありました。

そのうち、後に第十三代・成務天皇となられた若帯日子命(わかたらしひこのみこと)、小碓命(おうすのみこと)、さらにもうお一方の三人だけをお傍に残し、他の七十七人の皇子たちはすべて地方に遣わして、国造、別(わけ)、稲置(いなぎ)、県主(あがたぬし)といった職にお就けになりました。

あるとき、天皇は三野国の造の祖先・神大根王(おおねのおう)の娘で、兄比売(えひめ)と弟比売(おとひめ)の姉妹が非常に美しいという評判をお聞きになりました。

そこで皇子の大碓命(おおうすのみこと)を遣わして二人を召し上げようとなさいました。

ところが、大碓命はその二人を自分の妻としてしまい、代わりに他の姉妹を探して兄比売・弟比売と偽り、天皇に奉りました。

天皇はそれが偽りであることをすでにお見抜きになっていましたが、あえてそれを咎めず、表向きは二人を宮中に置かれました。

ただし近くでお仕えさせることはせず、わざと他の役を与えて遠ざけることで、大碓命の不実をお懲らしめになったのです。

その後、大碓命が兄比売との間にもうけた子が押黒之兄日子王(おしくろのえひこのおう)、弟比売との間にもうけた子が押黒之弟日子王(おしくろのおとひこのおう)でした。

この御世には、天皇家の直轄領である屯倉(みやけ)、田部を定め、安房の水門(あわのみなと)を置き、また朝廷で料理を司る膳大伴部(かしわでのおおともべ)を設けられました。

さらに大和の役所を整え、坂手池(さかてのいけ)を築いてその堤に竹を植えさせるなど、国の仕組みを広く定められました。

景行天皇は御年百三十七歳でお隠れになり、その御陵は山辺の道の上にあります。