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古事記現代語訳

古事記現代語訳(16)天孫降臨

天照大御神と高木の神(高御産巣日神)は、乱れ騒いでいた葦原中国(あしはらのなかつくに)が、建御雷神らの働きによって平定されたことを知ると、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)をお召しになり、

「葦原中国はすっかり治まりました。おまえは天降って、最初に命じた通り、あの国を治めなさい」

と仰せになりました。

忍穂耳命は仰せに従い、すぐに天降る支度を整えましたが、その折、お妃の万幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)が男の御子をお生みになりました。

その子の名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)、すなわち邇邇芸命であります。忍穂耳命は天照大神に奏して、

「私たち夫婦に世嗣(よつぎ)の子供が生まれました。この御子を地上に遣わすのがふさわしいかと存じます」

と申し上げました。

そこで天照大御神は、この孫の邇邇芸命が成長すると、改めてお傍に召され、

「葦原中国はおまえの治めるべき国です。命じる通りに天降りなさい」

と仰せになりました。

邇邇芸命は恭しく承り、「では、ただちに降りましょう」と答えて、支度を整えました。

やがて邇邇芸命が天降ろうとすると、四つ辻の真ん中にひとりの神が立ちはだかっていました。その神は上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らすほど光り輝いていました。

天照大御神と高木の神はこれを見て天宇受売命(あめのうずめのみこと)を呼び、

「あなたは女ではあるが、どんな荒ぶる神と向かい合っても物怖じしません。あの神に問いただしなさい。我が御子の天降りを妨げているおまえは誰なのか、と」

と命じました。

天宇受売命が詰問すると、その神は答えました。

「私は国つ神の猿田毘古(さるたひこ)です。天孫がお降りになると聞き、道案内を申し上げようと出迎えております」

この答えを聞き、天照大御神は安堵しました。

そして天児屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとだまのみこと)、天宇受売命、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)、この五柱を邇邇芸命の随伴としました。これを五伴緒神(いつとものおのかみ)といいます。

さらに、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種の神器を授け、

「この鏡はわが魂と思って祀りなさい。思金神は御子の政を助け仕えなさい」

と仰せになりました。

また手力男神(たぢからおのかみ)、天石門別神(あめのいわとわけのかみ)らもお供に加えられました。

こうして邇邇芸命は、天忍日命(あめのおしひのみこと)、天久米命(あまのくめのみこと)ら武勇の神々を先導に、多くの神々とともに雲を押し分け、天浮橋を渡って下界へと進みました。

ついに日向の高千穂の峰に天降り、串触岳(くしふるだけ)、さらに韓国岳(からくにだけ)を経て平地へと下り、やがて笠沙の岬に至りました。

そこで邇邇芸命は、

「ここは朝日も夕日も輝く、実に良い土地だ」

と喜ばれ、宮柱を高く立て、宮殿を営まれました。

このとき邇邇芸命は天宇受売命に命じられました。

「私たちを導いた猿田毘古神を伊勢まで送りなさい。そしてその功績を讃えて、その名を受け継いで仕えなさい」

こうして天宇受売命は猿田毘古神を送り、猿女の君(さるめのきみ)の祖となりました。

その後、猿田毘古神は伊勢の阿坂に住み、漁の折に比良夫貝(ひらぶかい)に手を挟まれて溺れました。

海中に沈むときの名は底度久御魂(そこどくみたま)、泡が立つときは都夫多都御魂(つぶたつみたま)、水面で泡が開くときは阿和佐久御魂(あわさくみたま)と呼ばれています。

古事記には「溺れた」とはあるが「死んだ」とは記されていません。

また伝承によれば、猿田毘古神と猿女は邇邇芸命の祝福を受けて結ばれ、急いで周りにある荒木を集め、新居を建てたと伝わり、宮崎県高千穂の荒立神社の縁起とされています。

伊勢の猿田彦神社でも、猿田毘古神が邇邇芸命の御啓行(みちひらき)を務めたことから、道祖神として崇められています。そしてその境内には佐瑠女神社もあり、今も神前結婚式が行われています。

天宇受売命は海に行き、魚たちを集め、「おまえたちは、天孫に仕えるか」と問いました。

すべての魚が「はい」と答えましたが、海鼠(なまこ)だけは沈黙しました。

そこで宇受売命は小刀でその口を裂きました。ゆえに今も海鼠の口は裂けているのです。

以来、志摩の国から魚類の貢ぎ物を奉る際には、猿女の君に下される慣わしとなりました。