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古事記現代語訳

古事記現代語訳(13)大国主命の国造り~少名毘古那神と大物主神

ある日のこと。

大国主命が出雲の御大(みほ)の岬(島根県松江市の美保関とされる)にいらっしゃったとき、海の向こうから一人の小さな小さな神が船で漕ぎ寄せて来ました。

その船は、ががいも(蔓芋)の鞘を割って作った小さな舟で、着物は灯取虫(蛾)の皮を丸ごと剥いだものでした。

大国主命がその神に「あなたはどなたですか」と尋ねても、神は口を閉ざしたまま答えません。

お供の神々に尋ねても誰もわからず困っていると、そこへヒキガエルの多邇具久(たにぐく)が現れ、「そのことなら久延毘古(くえひこ)がきっと知っているでしょう」と言いました。

久延毘古とは田の中に立つ案山子で、歩くことはできませんが、天下のことをすべて知っている物知りな神でした。古代から智恵の象徴とされました。

さっそく呼び寄せて尋ねると、久延毘古はこう答えました。

「あの方は神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子で、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と申します」

大国主命はそれを神産巣日神に申し上げました。すると神は、

「確かにあれは私の子です。子どもの中でも、私の手の股からこぼれ落ちた子です。大国主命よ、あなたは少名毘古那神と兄弟となり、この国を共に作り固めよ」

とおおせになりました。

こうして大国主命と少名毘古那神は力を合わせ、国を造り整えていきました。

『日本書紀』によれば、少名毘古那神は人々や家畜の病の治療法を定め、医療・穀物・酒造・温泉などあらゆる産業を導いた神とされています。

有馬温泉の起源も、彼が薬草を探して巡った折に、傷ついた烏が赤い湯で癒えたことに由来すると伝えられます。

『伊予風土記逸文』では、道後温泉の湯で大国主命の病を癒したとも語られています。

『伊豆風土記』にも、

「天孫降臨の前に、大己貴命(おおなむちのみこと)は、秋津の国(=日本)の人々が若くして亡くなるのを哀れに思い、少彦名命に『薬として効く温泉の技術』を授けました。そして伊豆の神の湯にこれを残された。この湯は普通のお湯ではなく、昼夜に二度激しく沸き立って噴き出す。その湯を桶に汲んで体を浸せば、あらゆる病が治った」

この記述は、熱海温泉で最も古くから知られた源泉「大湯(おおゆ)」を指すものだと考えられています。

さらに二人は兄弟のように仲が良く、播磨の国を旅していたとき、奇妙な我慢比べをして遊びました。

少名毘古那神は重い粘土(堲・はに)を担ぎ、大国主命はお手洗いを我慢して歩きました。

数日後、大国主命が笹の茂みにしゃがみ込んで用を足すと、少名毘古那神も「僕ももう無理だ」と粘土を投げ捨て、二人で大笑いしました。

その粘土が丘となり「堲岡(はにおか)」と呼ばれ、大国主命が用を足した笹は跳ね返って着物を汚したため、その地は「波自賀村(はじかのむら)」と呼ばれるようになったのです。

けれども少名毘古那神は、海の彼方の常世国へ渡って行き、姿を消してしまいました。

薬の街である大阪市中央区道修町にある「少彦名神社(神農さん)」は、この少名毘古那神と、医療と農耕の知識を古代の人々に広めた三皇五帝の一人、神農炎帝(しんのうえんてい)を祀っています。

大国主命は、少名毘古那神が常世国に渡った後、しばらく思い悩んでおっしゃいました。

「私は一人では、とても思いどおりにこの国を造り固めていくことはできない。いったい誰と力を合わせればよいのだろうか」

そのとき、不思議なことに、海の上一面がきらきらと光り輝き、その光の中から一柱の神が近づいてこられました。

その神は大国主命に向かって、こうお告げになりました。

「私を手厚く祀ってくれるなら、お前と一緒にこの国を造り固めてやろう。だが、そうでなければ、この国を治めることは難しいだろう」

大国主命が「それでは、どのようにお祀り申せばよいのでしょうか」とお尋ねになると、神は答えました。

「私を大和の国の御諸山(みもろやま)の上に祀るがよい」

この御諸山に鎮まる神こそ、大物主神であります。奈良県桜井市の大神神社にお祀りされている神です。

『日本書紀』によれば、大物主神は大国主命の「幸魂(さちみたま)」と「奇魂(くしみたま)」であると記されています。神の霊魂には四つの働きがあるとされ、

荒魂(あらみたま)は勇ましく積極的な側面、和魂(にぎみたま)は穏やかで調和的な側面、幸魂は人々に幸福や豊かさを授ける働き、奇魂は霊妙な力や奇跡をもたらす働き、とされています。

こうして大国主命は大物主神を祀り、その加護を得て、共に国造りを進めていかれました。