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古事記現代語訳

古事記現代語訳(4)黄泉の国での別れ

伊邪那美命はすでに黄泉の国の御殿にたどり着いていました。

そこへ夫の伊邪那岐命が、遠くから妻を探して訪ねてきたのです。

伊邪那美命は急いで戸口へ出て迎えました。

伊邪那岐命は呼びかけます。

「愛しいわが妻よ。お前と一緒に作った国は、まだ完成していない。どうかもう一度戻ってきてくれ。」

伊邪那美命は残念そうに答えました。

「もっと早く迎えに来てくださればよかったのに……。私はすでに黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。ですから、本来ならもう帰ることはできません。しかし、あなたがわざわざ来てくださったのですから、なんとか戻りたいと思います。これから黄泉の国の神々に相談してまいります。その間、決して私の姿をのぞかないでくださいね。」

そう言って御殿の奥へ入りましたが、なかなか戻ってきません。

長く待たされていた伊邪那岐命は、ついに我慢できなくなり、髪に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)という神聖な櫛の歯を一本抜き、火を灯して中を照らしながら奥へ進みました。

湯津爪櫛(ゆつつまぐし)とは、髮を左右に分けて耳の辺で輪にし、そこに挿した神聖な櫛。この櫛は竹で作られ、魔よけとして、妻が挿してくれる風習がありました。

すると、そこにいた伊邪那美命の姿は、すでに変わり果てていました。

体は腐り崩れ、悪臭が立ち込め、蛆が群がりゴロゴロ鳴って、さらに頭や胸、腹、手足などには、八種類もの恐ろしい雷神がまとわりついていたのです。

伊邪那岐命は驚き、恐ろしくなって逃げ出しました。

そのとき伊邪那美命は目を覚まし、

「まあ、私があれほど見るなと言ったのに……恥をかかせましたね。なんてひどい方でしょう!」

と激しく怒り、黄泉醜女(よもつしこめ)という恐ろしい鬼女たちを追っ手として差し向けました。

伊邪那岐命は逃げながら、髪に挿していた魔よけの黒い蔓を抜いて投げました。蔓は、植物を輪にしたものです。

するとそこから葡萄が生え、醜女たちはそれを食べるのに夢中になりました。

その隙に伊邪那岐命は逃げましたが、再び追いつかれます。今度は右の鬢の櫛の歯を投げると、そこから筍が生え、醜女たちはまた食べ始めました。

しかし、伊邪那美命の体から生まれた雷神たちが、さらに黄泉の軍勢を率いて伊邪那岐命を追ってきます。

伊邪那岐命は剣を抜いて振り回しながら必死に逃げ、ようやく黄泉と現世の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)へたどり着きました。

そこに桃の木がありました。

伊邪那岐命はその実を三つ取って投げつけると、雷神や鬼たちは恐れて逃げ去りました。

伊邪那岐命はその桃に向かって言いました。

「お前が私を救ってくれたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)の人々が苦しむときには助けてやってくれ。」

こうして桃には「意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)」という神名が与えられました。

それでもなお伊邪那美命は自ら追ってきました。伊邪那岐命は大きな岩、千引の岩を引き寄せ、坂の口をふさいでしまいました。

二神はその巨岩を挟んで最後の言葉を交わします。

日本書紀には「絶妻の誓」とあります。

伊邪那美命は叫びました。

「夫よ。それならば私は、一日に千人を殺してみせましょう!」

伊邪那岐命は答えました。

「そうならば私は、一日に千五百の産屋を建ててみせよう!」

この誓いによって、人は一日に必ず千人死に、千五百人が生まれることとなったのです。

こうして伊邪那美命は黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼ばれるようになり、また伊邪那岐命に「追いついた(及んだ)」ことから、道反大神(ちがえしのおおかみ)・道返大神(ちしきのおおかみ)といった神名でも祀られるようになりました。

さらに、黄泉の入口をふさいだ千引の岩そのものは、黄泉戸大神(よみどのおおかみ)とされます。

黄泉比良坂は、今の出雲国の伊賦夜坂(いぶやざか)にあたると伝えられます。

引用元:朝日新聞デジタル

伊賦夜坂は、現在は松江市東出雲町揖屋にあります。

黄泉比良坂には、実際に大岩があり、近くの揖夜(いや)神社には伊邪那美命が祀られています。

引用元:揖夜神社公式

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

黄泉の国

ここに殿とのくみより出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「うつくしき汝妹なにもの命、吾と汝と作れる國、いまだ作りへずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「くやしかも、く來まさず。吾は黄泉戸喫よもつへぐひしつ。然れども愛しき我が汝兄なせの命、入り來ませることかしこし。かれ還りなむを。しまらく黄泉神よもつかみあげつらはむ。我をな視たまひそ」と、かく白して、その殿内とのぬちに還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の御髻みみづらに刺させる湯津爪櫛ゆつつまぐしの男柱一箇ひとつ取りきて、ひとともして入り見たまふ時に、うじたかれころろぎて、頭には大雷おほいかづち居り、胸にはの雷居り、腹には黒雷居り、ほとにはさく雷居り、左の手にはわき雷居り、右の手にはつち雷居り、左の足にはなる雷居り、右の足にはふし雷居り、并はせて八くさの雷神成り居りき。

  • 殿(宮殿の閉してある戸。殿の騰戸【あがりど】とする伝えもある)
  • 黄泉戸喫(黄泉の国の火で作った食物を食ったので黄泉の人となってしまった。同一の火による団結の思想である。)
  • 湯津爪櫛(髮を左右に分けて耳の辺で輪にする。それにさした神聖な櫛。櫛は竹で作り。魔よけとして女が挿してくれる。)
  • たかれころろぎて(蛆がわいてゴロゴロ鳴って。トロロギテとする伝えがあるが誤り)

ここに伊耶那岐の命、かしこみて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾にはぢ見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女よもつしこめを遣して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御鬘くろみかづらを投げてたまひしかば、すなはち蒲子えびかづらりき。こを摭ひりむ間に逃げでますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げてたまへば、すなはちたかむなりき。こを拔きむ間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百ちいほ黄泉軍よもついくさたぐへて追はしめき。ここに御佩みはかし十拳とつかの劒を拔きて、後手しりへできつつ逃げ來ませるを、なほ追ひて黄泉比良坂よもつひらさかの坂本に到る時に、その坂本なるもも三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に逃げ返りき。ここに伊耶那岐の命、ももりたまはく、「いまし、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆるうつしき青人草の、き瀬に落ちて、患惚たしなまむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美おほかむづみの命といふ名を賜ひき。最後いやはてにその妹伊耶那美の命、みづから追ひ來ましき。ここに千引のいはをその黄泉比良坂よもつひらさかに引きへて、その石を中に置きて、おのもおのもき立たして、事戸ことどわたす時に、伊耶那美の命のりたまはく、「うつくしき汝兄なせの命、かくしたまはば、いましの國の人草、一日ひとひ千頭ちかしらくびり殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹なにもの命、みまし然したまはば、は一日に千五百ちいほ産屋うぶやを立てむ」とのりたまひき。ここを以ちて一日にかならず千人ちたり死に、一日にかならず千五百人なも生まるる。

  • 黄泉醜女(黄泉の国の見にくい化け物の女)
  • 黒御鬘(植物を輪にして魔よけとして髮の上にのせる)
  • 蒲子(山葡萄)
  • (筍)
  • 黄泉比良坂(黄泉の国の入口にある坂。黄泉の国に向って下る。墳墓の構造からきている)
  • 青人草(現実にある人間)
  • 事戸す時(日本書紀には「絶妻の誓」とある。言葉で戸を立てる。別れの言葉をいう)

かれその伊耶那美の命になづけて黄泉津よもつ大神といふ。またその追ひきしをもちて、道敷ちしきの大神ともいへり。またその黄泉よみの坂にさはれる石は、道反ちかへしの大神ともいひ、へます黄泉戸よみどの大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂よもつひらさかは、今、出雲の國の伊賦夜いぶやといふ。

  • 道敷の大神(道路を追いかける神)
  • 伊賦夜(島根県八束郡)