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古事記現代語訳

古事記現代語訳(18)海佐知毘古と山佐知毘古

邇邇芸命の御子のうち、兄の火照命は「海佐知毘古(うみさちひこ)」として海に出ては漁をし、弟の火遠理命は「山佐知毘古(やまさちひこ)」として山に入っては鳥や獣を獲って暮らしていました。

海佐知毘古は、海の幸を持つ男性。「サチ」とは威力のことで、道具に宿っており、多くの「サチ」を持つ者の方が獲物が多いのです。海幸は、海のサチが宿っている釣針のこと。

ある日、火遠理命が兄に「互いに道具を取り換えて猟をしてみましょう」と願いました。

火照命は三度断りましたが、あまりに頼まれるのでしぶしぶ承諾しました。

火遠理命は釣り道具を持って海へ出ましたが、一匹も釣れず、ついには釣り針を海に落としてしまいました。

兄の火照命は怒り、「早く針を返せ」と強く迫ります。

火遠理命は自分の剣を砕いて五百の針を作り、さらに千の針を作って償いましたが、兄は受け取らず、どうしても失った自分の針を返せと譲りませんでした。

困り果てた火遠理命が海辺で泣いていると、潮の神・塩椎神(しおつちのかみ)が現れ、事情を聞いて哀れみ、「私が助けてあげましょう」と言って隙間のない籠の小船を作り、彼を乗せて海へ押し流してくれました。

塩椎神は、海水の神霊。潮は、諸国の海岸に打ち寄せるので、物知りだとされています。

竹の類で編んで樹脂を塗って作った船は、神様の乗物だとされています。

塩椎神は「流れの先に魚の鱗のように屋根が並ぶ宮殿があるだろう。それが海の神、綿津見神の宮です。門の傍の井戸の桂の木に登って待てば、海神の娘が見つけて取り計らってくれるでしょう」と教えてくれました。

塩椎神は、潮流や海路、航海をつかさどる神で、東北平定で功績があったとされ、宮城県の塩釜神社に祀られています。

引用元:flickr

火遠理命は言われた通り桂の木に登り、やがて綿津見神の娘・豊玉比売の侍女が井戸に水を汲みに来ました。

侍女が井戸を覗くと光が射したので、驚いて見上げてみると立派な男性が立っていました

火遠理命が水を求めると、侍女は器に水を汲んで差し出しましたが、命は飲まずに首飾りの珠を口に含み、その器に吐き入れました。

珠は器に張り付いて離れず、そのまま豊玉比売のもとに届けられました。

豊玉比売が見に来ると、桂の木の上に立派な若者の姿がありました。

父の綿津見神も出てきて「この方は天の神の御子だ」と言って館に迎え、アシカの皮八枚、絹の敷物八枚を重ねた座に招き、盛大にもてなしました。

そして娘の豊玉比売を妻として差し出しました。火遠理命はその宮に三年留まりました。

三年は、こうした話の定番。浦島太郎も三年間、竜宮城にいました。

しかしある晩、火遠理命が深いため息をつきました。豊玉比売が心配し、父に相談したので、綿津見神は命に理由を尋ねました。

命はここに来た経緯と、兄の釣り針を探している理由を語りました。そこで海神は大小の魚を集め、「ものが食べられないと」困っていた雌鯛の喉から釣り針を見つけ出し、きれいにして命に渡しました。

そして「お兄さんにこれを返すときは『淤煩鉤(おぼち)・須須鉤(すすぢ)・貧鉤(まちぢ)・宇流鉤(うるぢ)』と呪文を唱え、後ろ向きに渡してください」と教えました。

これは、「憂鬱な釣り針、イライラする釣り針、貧乏な釣り針、愚かな釣り針」の意味で、呪いの言葉で、釣り針の悪口を言って「サチ」を離れさせます。

また「兄が高地に田を作れば低地に、低地に作れば高地に作ってください。水は私が操るので、三年で兄は飢えるでしょう。もし攻めてきたら潮満珠(しおみつたま)で溺れさせ、詫びたら潮乾珠(しおふるたま)で救ってください」と言い、二つの霊玉を授けました。

古事記が執筆された当時は、毎年土地を選定して耕作していたので、水の多い年には高い場所に田を作り、水の少ない年は低い場所にに田を作っていました。

さらに鮫たちを呼び、「誰が天の御子を一番早く送れるか」と問うと、大鮫が「私なら一日で送れます」と答えました。綿津見神は、人が左右に手をひろげた大きさの一尋鮫に「決して命を怖がらせるな」と言って、命を任せました。

そして鮫は、火遠理命をその首に乗せ、一日で地上に送り届けました。

命は紐の付いた小刀を鮫の首に結びつけ、鮫は佐比持神(さひもちのかみ)と呼ばれるようになりました。

佐比持神は、サヒを持っている神。サヒは鋤であり武器でもあります。

命は教えられた通りに釣り針を兄に返しました。やがて兄の田は水が来ずに凶作続きとなり、どんどん貧しくなって弟を妬み嫌がらせをしました。

そのたびに火遠理命は潮満珠で兄を溢れさせ、兄が助けを求めれば潮乾珠で水を引きました。

ついに火照命は弟に頭を下げ、「これからは一生、昼夜あなたの家を守り、奉公しますから」と誓いました。

その後、火照命は隼人の祖になりました。

隼人とは、古代の南九州で、ヤマト政権に服さなかった集団で、阿多隼人、大隅隼人、多禰隼人、日向隼人、甑(こしき)隼人などがいました。

『日本書紀』では、火照命は「俳優(わざおき)になってあなたに仕えるから許してください」と懇願し、海で溺れる仕草を滑稽に演じたと書かれています。これが「隼人の舞」の起源となりました。

火遠理命が上陸したと伝わる宮崎市の青島は、「鬼の洗濯岩」と呼ばれる凸凹した奇岩の海岸が8メートル続きます。

引用元:宮崎市観光サイト

その中央に位置する青島神社には、火遠理命と豊玉比売、塩椎神を祀っています。縁結び、安産、航海の安全にご利益があるとされています。

引用元:flickr

邇邇芸命は山の神の娘、木花佐久夜比売と結婚、その御子の火遠理命は、海の神の娘、豊玉比売と結婚。これで葦原中国の山と海を支配したということになります。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

七.日子穂穂出見の命

海幸と山幸

かれ火照ほでりの命は、海佐知うみさち毘古として、はたの廣物鰭の物を取り、火遠理ほをりの命は山佐知やまさち毘古として、毛の麤あら物、毛のにこを取りたまひき。ここに火遠理ほをりの命、そのいろせ火照ほでりの命に、「おのもおのも幸へて用ゐむ」とひて、三度乞はししかども、許さざりき。然れども遂にわづかにえ易へたまひき。ここに火遠理ほをりの命、海幸をもちて釣らすに、ふつに一つの魚だに得ず、またそのつりばりをも海に失ひたまひき。ここにそのいろせ火照の命その鉤を乞ひて、「山幸もおのが幸幸。海幸もおのが幸幸。今はおのもおのも幸返さむ」といふ時に、そのいろと火遠理の命答へて曰はく、「みましの鉤は、魚釣りしに一つの魚だに得ずて、遂に海に失ひつ」とまをしたまへども、その兄あながちに乞ひはたりき。かれその弟、御佩しの十拳の劒を破りて、五百鉤いほはりを作りて、つぐのひたまへども、取らず、また一千鉤ちはりを作りて、償ひたまへども、受けずして、「なほその本の鉤を得む」といひき。

  • 海佐知毘古(海の幸のある男。サチは威力で、道具に宿っており、サチを有する者が獲物が多いのである)
  • 毛の麤物、毛の(獣類と鳥類)
  • 海幸(海のサチの宿っている釣針)

ここにその弟、泣き患へて海邊うみべたにいましし時に、鹽椎しほつちの神來て問ひて曰はく、「いかにぞ虚空津日高そらつひこの泣き患へたまふ所由ゆゑは」と問へば、答へたまはく、「我、兄とつりばりを易へて、その鉤を失ひつ。ここにその鉤を乞へば、あまたの鉤を償へども、受けずて、なほその本の鉤を得むといふ。かれ泣き患ふ」とのりたまひき。ここに鹽椎の神、「我、汝が命のために、善きたばかりせむ」といひて、すなはちなし勝間かつまの小船を造りて、その船に載せまつりて、教へてまをさく、「我、この船を押し流さば、ややしましいでまさば、御路みちあらむ。すなはちその道に乘りていでましなば、魚鱗いろこのごと造れる宮室みや、それ綿津見わたつみの神の宮なり。その神の御門に到りたまはば、傍の井の上に湯津香木ゆつかつらあらむ。かれその木の上にましまさば、そのわたの神の女、見てはからむものぞ」と教へまつりき。

  • 鹽椎の神(海水の神霊。諸国の海岸にうち寄せるので、物知りだとする)
  • 虚空津日高(日子穂穂出見の命)
  • なし勝間の小船(すきまの無い籠の船。実際的には竹の類で編んで樹脂を塗って作った船であり、思想的には神の乗物である)
  • 魚鱗のごと造れる宮室(魚のうろこのように作った宮殿。瓦ぶきの家で大陸の建築が想像できる)
  • 湯津香木(井の傍の樹木に神が降るのは、信仰にもとづくきまった型である)

かれ教へしまにまに、少しでましけるに、つぶさにその言の如くなりき。すなはちその香木に登りてまします。ここにわたの神の女豐玉毘賣とよたまびめ從婢まかだちたまもひを持ちて、水酌まむとする時に、井にかげあり。仰ぎ見れば、うるはしき壯夫をとこあり。いとあやしとおもひき。ここに火遠理の命、そのまかだちを見て、「水をたまへ」と乞ひたまふ。婢すなはち水を酌みて、玉盌に入れて貢進たてまつる。ここに水をば飮まさずして、御頸の璵たまを解かして、口にふふみてその玉盌につばれたまひき。ここにその璵、もひに著きて、婢璵をえ離たず、かれ著きながらにして豐玉毘賣の命に進りき。ここにその璵を見て、婢に問ひて曰く、「もしかどに人ありや」と問ひしかば、答へて曰はく、「我が井の上の香木の上に人います。いと麗しき壯夫なり。我が王にも益りていと貴し。かれその人水を乞はしつ。かれ水を奉りしかば、水を飮まさずて、この璵を唾き入れつ。これえ離たざれば、入れしまにまち來て獻る」とまをしき。ここに豐玉毘賣の命、奇しと思ほして、出で見て見感でて、目合まぐはひして、その父に、白して曰はく、「吾が門に麗しき人あり」とまをしたまひき。ここにわたの神みづから出で見て、「この人は、天つ日高の御子、虚空つ日高なり」といひて、すなはち内に率て入れまつりて、海驢みちの皮の疊八重を敷き、またきぬ疊八重をその上に敷きて、その上にせまつりて、百取の机代つくゑしろの物を具へて、御饗みあへして、その女豐玉とよたま毘賣にはせまつりき。かれ三年に至るまで、その國に住みたまひき。

  • (美しい椀)
  • その璵、に著きて(水を汲んだお椀に、樹の上にいた神の霊がついたのである)
  • 海驢の皮の疊八重(海獣アシカの皮の敷物を八重に重ねて)
  • 絁疊八重(織ったままの絹の敷物八重をかさねて)
  • 三年(この種の説話に出る決まった年数。浦島も龍宮に三年いたという)

ここに火遠理の命、その初めの事を思ほして、大きなるなげき一つしたまひき。かれ豐玉とよたま毘賣の命、その歎を聞かして、その父に白して言はく、「三年住みたまへども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜こよひ大きなる歎一つしたまひつるは、けだしいかなる由かあらむ」とまをしき。かれ、その父の大神、その聟の夫に問ひて曰はく、「今旦けさ我が女の語るを聞けば、三年坐しませども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜大きなる歎したまひつとまをす。けだし故ありや。また此間ここに來ませる由はいかに」と問ひまつりき。ここにその大神に語りて、つぶさにその兄の失せにし鉤をはたれる状の如語りたまひき。ここを以ちて海の神、悉に鰭の廣物鰭の狹物を召び集へて問ひて曰はく、「もしこの鉤を取れる魚ありや」と問ひき。かれ諸の魚ども白さく、「このごろ赤海鲫魚たひぞ、のみとのぎありて、物え食はずと愁へ言へる。かれかならずこれが取りつらむ」とまをしき。ここに赤海鲫魚の喉を探りしかば、鉤あり。すなはち取り出でて清洗すすぎて、火遠理の命に奉る時に、その綿津見の大神をしへて曰さく、「この鉤をその兄に給ふ時に、のりたまはむ状は、この鉤は、淤煩鉤おばち[#ルビの「おばち」はママ]須須鉤すすち貧鉤まぢち宇流鉤うるちといひて後手しりへでに賜へ。然してその兄高田あげだを作らば、汝が命は下田くぼだつくりたまへ。その兄下田を作らば、汝が命は高田を營りたまへ。然したまはば、吾水をれば、三年の間にかならずその兄貧しくなりなむ。もしそれ然したまふ事を恨みて攻め戰はば、しほたまを出して溺らし、もしそれ愁へまをさば、しほたまを出していかし、かく惚苦たしなめたまへ」とまをして、鹽盈つ珠鹽乾る珠并せて兩箇ふたつを授けまつりて、すなはち悉に鰐どもをよび集へて、問ひて曰はく、「今天つ日高の御子虚空つ日高、うはくにでまさむとす。誰は幾日に送りまつりて、かへりごとまをさむ」と問ひき。かれおのもおのもおのが身の尋長たけのまにまに、日を限りて白す中に、一尋鰐白さく、「は一日に送りまつりて、やがて還り來なむ」とまをしき。かれここにその一尋鰐に告りたまはく、「然らば汝送りまつれ。もしわた中を渡る時に、な惶畏かしこませまつりそ」とのりて、すなはちその鰐の頸に載せまつりて、送り出しまつりき。かれちぎりしがごと一日の内に送りまつりき。その鰐返りなむとする時に、佩かせる紐小刀を解かして、その頸に著けて返したまひき。かれその一尋鰐は、今に佐比持さひもちの神といふ。

  • (のどに刺さった骨があって)
  • 須須鉤貧鉤宇流鉤(鉤を悪く言ってサチを離れさせるのである。ぼんやり鉤、すさみ鉤、貧乏鉤、愁苦の鉤)
  • 後手(手をうしろにしてあげなさい。呪術の意味である)
  • その兄高田を作らば~汝が命は高田を營りたまへ(毎年土地を選定して耕作するので、水の多い年には高田を作るに利あり、水の無い年はその反対である)
  • (海は潮が満ち干するので、海の神は水のさしひきを司るとし、それはその力を有する玉を持っているからだと考えられた。動詞の「乾る」は古くは上二段活で、連体形はフル)
  • (人間の世界。上方にあると考えた)
  • 一尋鰐(人が左右に手をひろげた長さのワニ。)
  • 紐小刀(紐のついている小刀)
  • 佐比持の神(鋤を持っている神。サヒは鋤であり武器でもある)

ここを以ちてつぶさにわたの神の教へし言の如、その鉤を與へたまひき。かれそれより後、いよよ貧しくなりて、更に荒き心を起して迫め。攻めむとする時は、鹽盈つ珠を出して溺らし、それ愁へまをせば、鹽乾る珠を出して救ひ、かく惚苦たしなめたまひし時に、稽首のみ白さく、「は今よ以後のち、汝が命の晝夜よるひる守護人まもりびととなりて仕へまつらむ」とまをしき。かれ今に至るまで、その溺れし時の種種のわざ、絶えず仕へまつるなり

  • かれ今に至るまで~絶えず仕へまつるなり(隼人が乱舞をして宮廷に仕えることの起原説明。隼人舞はその種族の独自の舞であるのを、溺れるさまの真似として説明した)