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古事記現代語訳

古事記現代語訳(30)倭建命②西征

ある日、天皇は御子の小碓命(おうすのみこと)、のちの倭建命に向かって、

「おまえの兄は、どうしてこの頃、朝夕の食事に顔を出さないのだ。おまえが行って、よく諭して参れ」

とお命じになりました。

大碓命と小碓命は双子の兄弟でした。『日本書紀』によると、二人が双子だったため、父親の景行天皇がいぶかしく思い臼に向かって叫んだため、このような名前で呼ばれるようになったそうです。

しかし五日経っても大碓命は顔を見せません。天皇が改めてお尋ねになると、小碓命は平然として、

「もう諭しましたよ」と答えました。

「では、どのように諭したのか?」

「朝早く厠に入ったところを待ち伏せして捕らえ、手足を折って薦に包んで捨てました」と、何事もなかったかのように申したのです。

景行天皇は、その荒々しい性格を恐ろしく思い、小碓命をそばから遠ざけようと考えました。

そこでお命じになったのが、西の方に従わぬ熊曽建兄弟の討伐でした。

小碓命は伊勢に赴き、叔母の倭比売命に別れを告げました。

熊曽建については、クマソは地名で、クマの地【熊本県】とソの地【鹿児島県】とを合わせたもの。タケルは勇者の意味。兄弟は二人となっています。

倭比売命は、天照大御神に仕える斎宮でした。伊勢には、伊勢神宮の別宮として、倭姫宮(やまとひめのみや)があり、女性の守護や道開きの神として信仰されています。

倭比売命は、景行天皇の妹です。

倭比売命は小碓命を心配して、上着と袴、そして懐剣を授けてくださいました。

その頃、小碓命はまだ少年で、髪を額で結っておられました。

小碓命はそれから、今の日向、大隅、薩摩の地方へ向かっておくだりになりました。

やがて熊曽建の館に近づくと、館の周囲には三重に軍勢が取り囲んで守っていました。

ちょうど新築祝いの宴を催すところで、大騒ぎで準備していました。

宴の日、小碓命は結った髪をほどき、叔母から授かった衣装を身にまとって乙女に姿を変え、女たちに交じって館に入りました。

熊曽建の兄弟は、その美しさに心を奪われ、間に座らせて大いに喜び、宴は大いに盛り上がりました。

やがて宴が最高潮に達した時、小碓命は懐から剣を抜き、兄の熊曽建の襟首をつかんで胸を突き刺しました。

弟の建は驚いて逃げ出しましたが、小碓命はすぐに追いかけ、階段下で肩を掴み、剣で突き刺しました。

建はもはや逃げられぬと悟り、

「その刀はしばらく動かさないでください。いったいあなた様はどなたですか」と尋ねました。

小碓命は答えました。

「俺は、この大八島国を治める大帯日子淤斯呂和気天皇の御子、倭男具那王(やまとをぐなのおう)だ。大和の日代の宮にいた。天皇の勅命により、お前たちを討ちに来たのだ」

弟の建はこれを聞いて感服し、

「西の国には私たち以上の強者はおりません。しかし大和には、私たちを超える勇士がおられたのですね。ならば私たちの名を献じましょう。これからあなたは『倭建命(やまとたけるのみこと)』と名乗られるがよいでしょう」と言い残しました。

小碓命はそのまま熊曾建を熟した瓜のように斬り裂き、以来「倭建命」と呼ばれるようになったのです。

『日本書紀』では、「日本武尊」という漢字があてられています。

倭建命は帰途、山の神、川の神、海峡の神らをことごとく平定し、さらに出雲に赴きました。そこで出雲建という荒くれ者を退治しました。

倭建命はまず赤檮(いちい)の木で木剣を作りました。それから、出雲建と親しくしつつ、肥の河で水浴びをしました。

そして、先に河から上がって出雲建の太刀を取り、偽の木剣と取り換えたのです。

そこで「さあ、試合をしようか」と声をかけ、両者が刀を抜こうとした時、出雲建の刀は木剣で抜けません。倭建命はすかさず本物の太刀を抜き、出雲建を斬り伏せました。

その時に詠まれた歌、

雲のむら立つ出雲の建が腰にした大刀は、蔓を巻きすぎて刃も抜けず、なんと哀れなことよ。

こうして西の国から出雲に至るまで賊を平らげ、倭建命は都へ凱旋し、景行天皇にことの次第をすべて奏上しました。

『日本書紀』では、「日本武尊」は熊襲征伐の帰路に、吉備と難波には立ち寄っているが、出雲には立ち寄ってはいません。

『日本書紀』では、崇神天皇の命により、飯入根(いいいりね)が兄の出雲振根(いずものふるね)の不在中に、「出雲大神の宮」に収めてあった「天夷鳥(あめのひなどり)が天から持って来られたという神宝(かむたから)」を大和政権の使者である武諸隅(たけもろすみ)に渡してしまいました。

このことで振根は立腹し、弟の入根を殺害してしまうのですが、その殺害方法が、倭建命が出雲建を殺害した手口とほぼ同じなのです。

南九州には、本州とは異なる文化を持つ「熊曽」や「隼人」という集団がいました。

ヤマト政権は、彼らを支配下に置くために、何度も遠征しています。

鹿児島県霧島市隼人町には、隼人族の霊魂を供養する隼人塚があります。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

倭建の命の西征

天皇、小碓をうすの命に詔りたまはく、「何とかもみましいろせあしたゆふべ大御食おほみけにまゐ出來でこざる。もはらみましねぎ教へ覺せ」と詔りたまひき。かく詔りたまひて後、五日に至るまでに、なほまゐ出でず。ここに天皇、小碓の命に問ひたまはく、「何ぞ汝の兄久しくまゐ出來ざる。もしいまだをしへずありや」と問ひたまひしかば、答へて白さく、「既にねぎつ」とまをしたまひき。また「いかにかねぎつる」と詔りたまひしかば、答へて白さく、「朝署あさけに厠に入りし時、待ち捕へつかひしぎて、その枝を引ききて、こもにつつみて投げてつ」とまをしたまひき。

  • ねぎ(なだめ乞う)
  • いかにかねぎつる(どんなふうになだめ乞うたのか)
  • 朝署(朝早く)
  • その枝(手足)

ここに天皇、その御子の建く荒き情をかしこみて、詔りたまひしく、「西の方に熊曾建くまそたける二人あり。これまつろはず、禮旡ゐやなき人どもなり。かれその人どもを取れ」とのりたまひて、遣したまひき。この時に當りて、その御髮みかみぬかに結はせり。ここに小碓をうすの命、そのみをば倭比賣やまとひめの命御衣みそ御裳みもを給はり、たち御懷ふところれていでましき。かれ熊曾建くまそたけるが家に到りて見たまへば、その家の邊に、いくさ三重に圍み、室を作りて居たり。ここに御室樂みむろうたげせむと言ひとよみて、をし物をけ備へたり。かれそのあたり遊行あるきて、そのうたげする日を待ちたまひき。ここにその樂の日になりて、童女をとめの髮のごとその結はせる髮をけづり垂れ、そのみをば御衣みそ御裳みもして、既に童女の姿になりて、女人をみなの中に交り立ちて、その室内むろぬちに入ります。ここに熊曾建くまそたける兄弟二人、その孃子を見でて、おのが中にせて、盛にうたげつ。かれそのたけなはなる時になりて、御懷より劒を出だし、熊曾くまそ衣のくび[#「矜」はママ]を取りて、劒もちてその胸より刺し通したまふ時に、そのおとたける見畏みて逃げ出でき。すなはちその室のはしの本に追ひ至りて、背の皮を取り劒を尻より刺し通したまひき。ここにその熊曾建白して曰さく、「その刀をな動かしたまひそ。やつこ白すべきことあり」とまをす。ここにしまし許して押し伏せつ。ここに白して言さく、「が命は誰そ」と白ししかば、「纏向まきむく日代ひしろの宮にましまして、大八島國おほやしまぐにらしめす、大帶日子淤斯呂和氣おほたらしひこおしろわけの天皇の御子、名は倭男具那やまとをぐなの王なり。おれ熊曾建二人、まつろはず、ゐやなしと聞こしめして、おれを取りれと詔りたまひて、遣せり」とのりたまひき。ここにその熊曾建白さく、「信にしからむ。西の方に吾二人をきては、たけこはき人無し。然れども大倭おほやまとの國に、吾二人にましてたけき男はいましけり。ここを以ちて吾、御名を獻らむ。今よ後倭建やまとたけるの御子と稱へまをさむ」とまをしき。この事まをし訖へつれば、すなはち熟苽ほぞちのごと、振りきて殺したまひき。かれその時より御名を稱へて、倭建やまとたけるの命とまをす。然ありて還り上ります時に、山の神河の神また穴戸あなどの神をみな言向けやはしてまゐ上りたまひき。

  • 熊曾建二人(クマソは地名で、クマの地【熊本県】とソの地【鹿児島県】とを合わせ称する。タケルは勇者の義。物語では兄弟二人となっている)
  • 御髮に結はせり(男子少年の風俗)
  • その倭比賣の命(父の妹に当たる)
  • 御室樂(新築を祝う酒宴)
  • 衣の(衣服の襟)
  • 室の(庭上におりる階段)
  • 今よ後(今から後。ヨは助詞。ユ、ヨリに同じ)
  • 倭建の御子(日本書紀には、日本武尊【やまとたけるのみこと】と書く)
  • 熟苽のごと(熟した瓜のように)
  • 穴戸の神(海峡の神)
  • 言向けして(平定しおだやかにして)

出雲建

すなはち出雲の國に入りまして、その出雲いづもの國のたけるらむとおもほして、到りまして、すなはち結交うるはしみしたまひき。かれ竊に赤檮いちひのきもちて、詐刀こだちを作りて、御はかしとして、共に肥の河にかはあみしき。ここに倭建やまとたけるの命、河よりまづあがりまして、出雲建いづもたけるが解き置ける横刀たちを取り佩かして、「易刀たちかへせむ」と詔りたまひき。かれ後に出雲建河より上りて、倭建の命の詐刀こだちを佩きき。ここに倭建の命「いざ刀合たちあはせむ」とあとらへたまふ。かれおのもおのもその刀を拔く時に、出雲建、詐刀こだちをえ拔かず、すなはち倭建の命、その刀を拔きて、出雲建を打ち殺したまひき。ここに御歌よみしたまひしく、

やつめさす 出雲建いづもたけるが 佩けるたち
黒葛つづらさは 無しにあはれ。  (歌謠番號二四)

かれかくはらひ治めて、まゐ上りて、覆奏かへりごとまをしたまひき。

  • すなはち出雲の國に入りまして(この物語は日本書紀には、出雲振根がその弟飯入根を殺した話になっている)
  • 詐刀(にせの刀。木刀)
  • やつめさす(枕詞。八雲立つの転訛。日本書紀にはヤクモタツになっている)
  • 黒葛(柄や鞘に植物の蔓をたくさん巻いてある)
  • 無しにあはれ(刀身が無いことだ。アハレは感動を表示している)