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古事記現代語訳

古事記現代語訳(26)沙本毘古王の謀反

第十一代・垂仁天皇、伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)は、大和の師木の玉垣の宮において天下をお治めになりました。

師木の玉垣の宮は、現在の奈良県桜井市穴師(あなし)周辺だとされています。『日本書紀』では纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)と記しています。

近くには、穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)が鎮座しています。

摂社に、野見宿禰を御祭神とする相撲神社があります。垂仁天皇の御代、当麻蹴速(たいまのけはや)と出雲の野見宿禰(のみのすくね)が相撲を取った場所。お互いに足の蹴り合いになり、野見宿禰が勝ちました。天覧相撲発祥の地。

天皇は沙本毘古王(さほびこのみこ)の妹、沙本毘売命(さほひめのみこと)を皇后にお召しになりましたが、これが、のちに大きな悲劇を招くこととなります。

あるとき、沙本毘古王は妹に向かって問いかけました。

「おまえは、夫と兄とでは、どちらが大切か」

皇后は、その場の成り行きで「お兄さまのほうが大切です」と答えてしまいました。

すると王は鋭利な八塩折紐小刀を渡して、「本当に私を大切に思うなら、天皇がお休みの折にこれで刺し殺せ。そして俺たち兄妹で天下を治めよう」と迫りました。

八塩折の紐小刀とは、何度も繰り返して鍛錬した鋭利な紐刀のこと。八岐大蛇を酔わせたのは「八塩折の酒」ですが、水の代わりにお酒で何度も醸造したお酒のことで、甘くて強いお酒ができあがります。

垂仁天皇はこの謀反をご存じなく、ある夜、皇后の膝を枕に安らかにお眠りになりました。

皇后はそのとき短刀を抜き、三度まで天皇の首に振り下ろそうとしましたが、夫を思う気持ちが勝り、殺めることができず、涙を流して手を止めました。

その涙が天皇の顔に落ち、天皇は目を覚まされました。

「不思議な夢を見た。佐保の方からにわか雨が降り、私の顔を濡らした。また錦色の小蛇が首に巻きついてきた。これは何の兆しだろうか?」

奈良県添上郡の佐保村は兄弟の出身地。現在は奈良市で、佐保川、佐保台という地名として残っています。

小蛇は、小刀の紐だと考えられます。

皇后は隠しきれず、兄の企みをすべて打ち明けました。

天皇は「危うく命を落とすところであった」と驚き、軍を起こして沙本毘古王を討たせました。

王は稲束を積んで砦を築き、籠城して抗いました。

このとき皇后は、兄を思う心から、裏門より砦に駆け込みました。

すでに三年も愛情をそそぎ、自分の子を身ごもっていた皇后を、天皇は深くお憐れみになり、攻撃を控えるよう命じました。

やがて皇后は砦の中で皇子を出産し、「もしこの御子を天皇の御子としてお認めくださるなら、どうぞお育てください」と城外へ差し出しました。

天皇は皇后をも奪還したいと考え、屈強の兵に「子を受け取るとき、母も捕えて連れ出せ」と命じました。

だが皇后はすでにその策を見抜いており、髪を剃ってその髪で頭を覆い、玉の腕輪の緒を腐らせ、衣も酒で朽ちさせていました。

兵が髪を掴めば抜け落ち、腕を掴めば緒が切れ、衣を引けば破れ去り、ついに皇后を取り逃がしました。

御子のみが助けられ、皇后は砦に残りました。

天皇は「髪も緒も衣も頼りとならぬ」と嘆き、玉の腕輪を作った玉作部を罰して領地を没収しました。

そのため、「ところを得ない玉作り」という諺があります。このことわざの意味は、玉作りは、土地を持たないということのようです。

その後、天皇は皇后に使いを送り、「子供の名前は母がつけるものだ。この御子の名は何とすべきか」と問いました。

皇后は、「炎の中にお生まれになりましたので、本牟智和気御子(ほむちわけのみこ)とお名付けください」と答えました。ほむちとは、「火」を意味する「ほ」に尊称の「むち」を加えた語です。

さらに、「ベテランと若手の乳母を置き、養育役を定めてお育てください」とも申し上げました。

天皇が「では、俺の衣の紐は誰が結ぶのか」と問うと、皇后は「丹波比古多多須美知能宇斯王(たにはのひこたたすみちのうしのおう)の娘、兄比売(えひめ)と弟比売(おとひめ)の姉妹をお召しください」と答えました。

「俺の衣の紐は誰が結ぶのか」と、天皇が皇后に聞きますが、これは、当時、夫の衣の紐は、妻が結ぶという風習があったためです。

やがて天皇は軍を進め、ついに沙本毘古王を討ち果たしました。皇后もまた、炎立つ砦に身を投じて果てられました。

奈良市法蓮町の狭岡神社には、狭穂姫伝承の鏡池があります。ここは、沙本兄妹の実家があった場所で、毘売が鏡代わりにこの池を遣っていたという伝承が残っています。

狭岡神社から徒歩圏内に、少名毘古那神常陸(ひたち)神社があり、境内に佐保姫大神を祀る可愛い祠があります。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

四.垂仁天皇

沙本毘古の反乱

この天皇、沙本さほ毘賣を后としたまひし時に、沙本さほ毘賣の命のいろせ沙本毘古さほびこの王、その同母妹いろもに問ひて曰はく、「いろせとはいづれかしき」と問ひしかば、答へて曰はく「兄を愛しとおもふ」と答へたまひき。ここに沙本毘古さほびこの王、謀りて曰はく、「みましまことにあれを愛しと思ほさば、吾と汝と天の下治らさむとす」といひて、すなはち八鹽折やしほり紐小刀ひもがたなを作りて、そのいろもに授けて曰はく、「この小刀もちて、天皇のみねしたまふを刺しせまつれ」といふ。かれ天皇、その謀をらしめさずて、その后の御膝をきて、御寢したまひき。ここにその后、紐小刀もちて、その天皇の御頸おほみくびを刺しまつらむとして、三度りたまひしかども、かなしとおもふ情にえへずして、御頸をえ刺しまつらずて、泣く涙、御面おほみおもに落ちあふれき。天皇驚き起ちたまひて、その后に問ひてのりたまはく、「しきいめを見つ。沙本さほかたより、暴雨はやさめり來て、にはかに吾が面をぬらしつ。また錦色の小蛇へみ、我が頸にまつはりつ。かかる夢は、こは何のしるしにあらむ」とのりたまひき。ここにその后、爭ふべくもあらじとおもほして、すなはち天皇に白して言さく、「妾が兄沙本毘古さほびこの王、妾に、夫と兄とはいづれかしきと問ひき。ここにえ面勝たずて、かれ妾、兄を愛しとおもふと答へ曰へば、ここに妾にあとらへて曰はく、吾と汝と天の下を治らさむ。かれ天皇をせまつれといひて、八鹽折やしほりの紐小刀を作りて妾に授けつ。ここを以ちて御頸を刺しまつらむとして、三度りしかども、哀しとおもふ情忽に起りて、頸をえ刺しまつらずて、泣く涙の落ちて、御面を沾らしつ。かならずこのしるしにあらむ」とまをしたまひき。

  • 八鹽折紐小刀(色濃く染めた紐のついている小刀。この紐、下の錦色の小蛇というのに関係がある)
  • 沙本(奈良市佐保。佐本毘古の王の居所)

ここに天皇詔りたまはく、「吾はほとほとに欺かえつるかも」とのりたまひて、軍を興して、沙本毘古さほびこの王をちたまふ時に、その王稻城いなぎを作りて、待ち戰ひき。この時沙本毘賣さほびめの命、その兄にえへずして、しりつ門より逃れ出でて、その稻城いなぎりましき。

この時にその后はらみましき。ここに天皇、その后の、懷姙みませるに忍へず、また愛重めぐみたまへることも、三年になりにければ、その軍を廻かへしてすむやけくも攻めたまはざりき。かく逗留とどこほる間に、そのはらめる御子既にれましぬ。かれその御子を出して、稻城いなぎの外に置きまつりて、天皇に白さしめたまはく、「もしこの御子を、天皇の御子と思ほしめさば、治めたまふべし」とまをしたまひき。ここに天皇りたまはく、「その兄をきらひたまへども、なほその后を愛しとおもふにえ忍へず」とのりたまひて、后を得むとおもふ心ましき。ここを以ちて軍士いくさびとの中に力士ちからびと輕捷はやきを選りつどへて、宣りたまはくは、「その御子を取らむ時に、その母王ははみこをもかそひ取れ。御髮にもあれ、御手にもあれ、取り獲むまにまに、つかみてき出でよ」とのりたまひき。ここにその后、あらかじめその御心を知りたまひて、悉にその髮を剃りて、その髮もちてその頭を覆ひ、また玉の緒をくたして、御手に三重かし、また酒もちて御衣みけしを腐して、全きみそのごとせり。かく設け備へて、その御子をうだきて、城の外にさし出でたまひき。ここにその力士ちからびとども、その御子を取りまつりて、すなはちその御祖みおやりまつらむとす。ここにその御髮をれば、御髮おのづから落ち、その御手をれば、玉の緒また絶え、その御衣みけしれば、御衣すなはち破れつ。ここを以ちてその御子を取り獲て、その御おやをばえとりまつらざりき。かれその軍士ども、還り來て、まをして言さく、「御髮おのづから落ち、御衣破れ易く、御手にかせる玉の緒もすなはち絶えぬ。かれ御祖を獲まつらず、御子を取り得まつりき」とまをす。ここに天皇悔い恨みたまひて、玉作りし人どもをにくまして、そのところをみなりたまひき。かれことわざに、ところ得ぬ玉作りといふなり。

  • 吾はほとほとに欺かえつるかも(危なく騙される所だった。ホトホトニは、ほとんど)
  • 稻城(稲を積んだ城。俵を積んだのだろう)
  • ひ取れ(かすめ取れ)
  • 得ぬ玉作り(玉作りは、土地を持たないという諺のもとだという)

また天皇、その后に命詔みことのりしたまはく、「およそ子の名は、かならず母の名づくるを、この子の御名を、何とかいはむ」と詔りたまひき。ここに答へて白さく、「今火の稻城いなぎを燒く時に、中にれましつ。かれその御名は、本牟智和氣ほむちわけ御子みことまをすべし」とまをしたまひき。また命詔したまはく「いかにして日足ひたしまつらむ」とのりたまへば、答へて白さく、「御母みおもを取り、大湯坐おほゆゑ若湯坐わかゆゑを定めて、日足しまつるべし」とまをしたまひき。かれその后のまをしたまひしまにまに、日足ひたしまつりき。またその后に問ひたまはく、「みましの堅めしみづ小佩をひもは、誰かも解かむ」とのりたまひしかば、答へて白さく、「旦波たには比古多多須美智能宇斯ひこたたすみちのうしみこが女、名は兄比賣えひめ弟比賣おとひめ、この二柱の女王ひめみこ、淨き公民おほみたからにませば、使ひたまふべし」とまをしたまひき。然ありて遂にその沙本比古さほひこの王をりたまへるに、その同母妹いろもも從ひたまひき。

  • 本牟智和氣(ホが火を意味し、ムチは尊称、ワケは若い御方の義の名)
  • いかにして日足しまつらむ(日を足して成育させる)
  • 大湯坐若湯坐(赤子の湯を使う人。その主な役と若い方の役)
  • の堅めし小佩は、誰かも解かむ(妻が男の衣の紐を結ぶ風習による。ミヅは美称。生気のある意)