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古事記現代語訳

古事記現代語訳(2)伊邪那岐神と伊邪那美神の国生み

天の神々は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を呼び出し、こう命じました。

「この漂って形の定まらない国を整え、固めて作りなさい」

そう言って、立派な矛、天の沼矛(あめのぬぼこ)をお授けになりました。

二柱の神は、天と地をつなぐ「天の浮橋」に立ち、いただいた矛を海へ差し入れて、海水を「こおろこおろ」と音を立てながらかき回し、引き上げました。

その刃先から滴った潮が固まって島となります。これが「淤能碁呂島(おのごろじま)」です。

二神はその島に降り立ち、天の御柱を建て、八尋殿(やひろどの)という大きな御殿をお造りになりました。

現在の淡路島南方の沼島が候補の一つとされ、そこに立つ高さ約30mの巨岩「上立神岩(かみたてがみいわ)」は、天の御柱と伝えられています。

その時、伊邪那岐命が伊邪那美命に尋ねました。

「あなたの体は、どのようにできているのですか?」
伊邪那美命は答えました。

「私の体はもうできあがっていますが、まだできあがっていない部分が一か所あります。」
すると伊邪那岐命は言いました。

「私の体には、できすぎて余っている部分が一か所ある。だから私の余っている部分を、あなたのまだできあがっていない部分に合わせて、国を生み出したいと思うが、どうだろう?」

伊邪那美命は「それがよいでしょう」と答えました。

そこで伊邪那岐命は言いました。

「では、私とあなたとで、この天の御柱を回り、出会って美斗能麻具波比(みとのまぐわい)、結婚をしよう。あなたは右から、私は左から回って出会おう。」

日本書紀の一書では、美斗能麻具波比は、鶺鴒が頭と尻尾を振る姿と表現されています。

約束通りに回り始めると、先に伊邪那美命が「本当に立派な男性ですね」と言い、その後で伊邪那岐命が「本当に美しい乙女ですね」と言いました。

ところが伊邪那岐命は、「女が先に言うのは良くないのではないか」とおっしゃいました。

そうして結ばれたものの、生まれた子は水蛭子(ひるこ)。体に骨がなく、葦の船に乗せて流すことになりました。

葦の船に乗せて流すのは、虫送りという害虫駆除の行事です。

次に生まれた淡島も御子の数には入りませんでした。

このことを天の神々に相談すると、太占(ふとまに)という鹿の骨を焼いて占う方法で占いを行い、神々は告げました。

鹿の肩の骨を焼いてヒビの入り方を見て占います。これは後に亀の甲を焼くことに変わりました。

「それは、女の方から先に声をかけたのがいけなかったのだ。もう一度やり直しなさい。」

二神は再び淤能碁呂島に降り、同じように天の御柱を回りました。

今度は伊邪那岐命が先に「本当に美しい乙女ですね」と言い、次に伊邪那美命が「本当に立派な男性ですね」と言いました。

こうして二神は改めて結ばれ、国生みを始めました。

最初に生まれたのは「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」、現在の淡路島です。

次に「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」つまり四国。体は一つで顔が四つあり、それぞれに名があります。

伊予を愛比売(えひめ)、讃岐を飯依比古(いいよりひこ)、阿波を大宜津比売(おおげつひめ)、土佐を建依別(たけよりわけ)といいます。

続いて「隠岐の三子島(おきのみつごのしま)」、さらに「筑紫島(つくしのしま)」、現在の九州を生みました。

九州も体は一つで顔が四つあり、それぞれ白日(しらひわけ)、豊日(とよひわけ)、建日向日豊久士比泥(たけひむかひとよくじひねわけ)、熊曽の国を建日(たけひわけ)と呼びます。

別(わけ)という言葉は、これからもよく出て来ますが、若者という意味になります。

熊曽の熊肥後南部、曽薩摩

さらに「壱岐島(いきのしま)」、「対馬島(つしまのしま)」、「佐渡島(さどのしま)」を生み、最後に「大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)」、本州を生みました。

これは別名を「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」といいます。

こうしてまず八つの島が生まれたため、「大八島国(おおやしまぐに)」と呼ばれるのです。

その後も、吉備の児島(こじま)、小豆島(あずきじま)、大島、女島(ひめじま)、値賀島(ちかのしま)、両児島(ふたごのしま)と続き、合わせて六島をお生みになりました。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

島々の生成

ここに天つ神もろもろみことちて伊耶那岐いざなぎの命伊耶那美いざなみの命の二柱の神にりたまひて、この漂へる國を修理をさめ固め成せと、あめ沼矛ぬぼこを賜ひて、言依ことよさしたまひき。かれ二柱の神、あめ浮橋うきはしに立たして、その沼矛ぬぼこおろして畫きたまひ、鹽こをろこをろに畫きして、引き上げたまひし時に、その矛のさきよりしたたる鹽の積りて成れる島は、淤能碁呂おのごろなり。その島に天降あもりまして、あめ御柱みはしらを見立て八尋殿やひろどのを見立てたまひき。

  • 天つ神ちて(天神の命によって若い神が降下するのは日本神話の基礎形式の一。祭典の思想に根拠を有している)
  • 沼矛を賜ひて、言依さしたまひき(立派な矛を賜わって命を下した)
  • 浮橋(天からの通路である空中の階段)
  • 鹽こをろこをろに畫きして(海水をゴロゴロとかきまわして)
  • 淤能碁呂(大阪湾内にある島。現在の何島かは不明)
  • 御柱を見立て(家屋の中心となる神聖な柱を立てた)

ここにその妹伊耶那美いざなみの命に問ひたまひしく、「が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「が身は成り成りて、成り合はぬところ一處あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐いざなぎの命りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り餘れるところ一處あり。かれこの吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はぬ處に刺しふたぎて、國土くに生み成さむと思ほすはいかに」とのりたまへば、伊耶那美いざなみの命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らばと、この天の御柱を行きめぐりあひて、美斗みと麻具波比まぐはひせむ」とのりたまひき。かくちぎりて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ、は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、ちぎへて廻りたまふ時に、伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子をとめを」とのりたまひき。おのもおのものりたまひへて後に、その妹にりたまひしく、「女人をみな先立さきだち言へるはふさはず」とのりたまひき。然れども隱處くみどおこしてみこ水蛭子ひるこを生みたまひき。この子は葦船あしぶねに入れて流しりつ。次に淡島あはしまを生みたまひき。こも子の數に入らず。

  • 美斗麻具波比せむ(結婚しよう)
  • あなにやし、えをとこを(アナニヤシ、感動の表示。エヲトコヲ、愛すべき男だ。ヲは感動の助詞)
  • 隱處して水蛭子を生みたまひき(ヒルのようなよくないものが、不合理な婚姻によって生まれたとする)
  • 葦船に入れて流しりつ(虫送り害虫駆除の行事)
  • 淡島(四国の阿波の方面の名。この部分は阿波方面に対して悪い感情を表示している)

ここに二柱の神はかりたまひて、「今、吾が生める子ふさはず。なほうべ天つ神の御所みもとまをさな」とのりたまひて、すなはち共にゐ上りて、天つ神のみことを請ひたまひき。ここに天つ神のみこと以ちて、太卜ふとまにうらへてのりたまひしく、「をみなの先立ち言ひしに因りてふさはず、また還りあもりて改め言へ」とのりたまひき。

  • 太卜へて(古代の占法は種々あるが、鹿の肩骨を焼いてヒビの入り方によって占うのを重んじ、これをフトマニといった。これは後に亀の甲を焼くことに変わった)

かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐いざなぎの命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美いざなみの命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合みあひまして、みこ淡道あはぢ狹別さわけの島を生みたまひき。次に伊豫いよ二名ふたなの島を生みたまひき。この島は身一つにしておも四つあり。面ごとに名あり。かれ伊豫の國を愛比賣えひめといひ、讚岐さぬきの國を飯依比古いひよりひこといひ、あはの國を、大宜都比賣おほげつひめといひ、土左とさの國を建依別たけよりわけといふ。次に隱岐おき三子みつごの島を生みたまひき。またの名はあめ忍許呂別おしころわけ。次に筑紫つくしの島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の國白日別しらひわけといひ、とよくに豐日別とよひわけといひ、くに建日向日豐久士比泥別たけひむかひとよくじひねわけといひ、熊曾くまその國建日別たけひわけといふ。次に伊岐いきの島を生みたまひき。またの名は天比登都柱あめひとつはしらといふ。次に津島つしまを生みたまひき。またの名はあめ狹手依比賣さでよりひめといふ。次に佐渡さどの島を生みたまひき。次に大倭豐秋津おほやまととよあきつを生みたまひき。またの名はあま御虚空豐秋津根別みそらとよあきつねわけといふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島おほやしまといふ。

  • 淡道狹別の島(淡路島の別名。ワケは若い者の義)
  • 伊豫二名の島(四国の称。伊予の方面からいう)
  • 筑紫の國(北九州)
  • 建日向日豐久士比泥別(誤伝があるのだろう。肥の国【肥前肥後】の外に、日向の別名が挙げられているのだろうというが、日向を入れると五国になって、面四つありというのには合わない)
  • 熊曾の國(クマ肥後南部とソ薩摩とを合わせた名)
  • 津島(対馬島)
  • 大倭豐秋津(本州)
  • 大八島(山口県の屋代島やしろじまだろう)

然ありて後還ります時に、吉備きび兒島こじまを生みたまひき。またの名は建日方別たけひがたわけといふ。次に小豆島あづきしまを生みたまひき。またの名は大野手比賣おほのでひめといふ。次に大島おほしまを生みたまひき。またの名は大多麻流別おほたまるわけといふ。次に女島ひめじまを生みたまひき。またの名は天一根あめひとつねといふ。次に知訶ちかの島を生みたまひき。またの名はあめ忍男おしをといふ。次に兩兒ふたごの島を生みたまひき。またの名はあめ兩屋ふたやといふ。(吉備の兒島より天の兩屋の島まで并はせて六島。)

  • 女島(大分県の姫島だろう)
  • 知訶の島(長崎県の五島)
  • 兩兒の島(所在不明)