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古事記現代語訳

古事記現代語訳㊾木梨之軽(きなしのかる)と軽大郎女(かるのおおいらつめ)の禁断の恋

允恭天皇がお隠れになった後には、長男の木梨之軽(きなしのかる)皇子がお位につくことに決まっておりました。

ところが、軽皇子はまだご即位なさる前に、同じ母を持つ妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)と、禁断の恋におちいってしまいました。

軽皇子は妹に戯れて、
「山に田を作ったが、その山が高いので樋を通した。その樋のように、ひそかに通って求めた妻──人目を忍び、心で泣いている妻を、昨夜私は手に入れた」
と歌い、

さらに、
「笹の葉に霰が落ちて音を立てるように、確かに妻と添い寝した。人にそしられてもかまわない」

「薦草が乱れても、妻と共寝をしたのだから、もうどうなってもかまわない」
と歌って、自らその仲を公にしてしまいました。

当時、異母兄妹の婚姻は容認されていましたが、同母兄妹の関係は、現在と同じく忌み嫌われるものでした。

軽皇子と軽大郎女の恋は人々に大きな衝撃を与え、朝廷の官人をはじめ、民衆も背を向けてしまいました。

皆が次第に弟の穴穂御子(あなほのみこ、のちの安康天皇)に心を寄せるようになったのです。

軽皇子は、自身の身に危険が迫るのを感じ、大前宿禰(おおまえのすくね)、小前宿禰(こまえのすくね)の家に逃げ込み、兵器を作って備えました。

そのとき軽皇子が用いた矢は銅製で、「軽箭(かるや)」と呼ばれました。一方、穴穂御子もまた軍を整え、鉄製の矢「穴穂箭(あなほや)」を準備しました。

やがて穴穂御子の軍勢が大前・小前宿禰の家を取り囲んだとき、突然雹が降り出しました。

穴穂御子は、
「さあ皆、この雹が止むように、一気に攻め立てよ!」
と歌って兵を鼓舞しました。

そこへ大前・小前宿禰兄弟が、手を打ち、舞い歌いながら現れ、
「宮人の袴の小鈴が落ちた程度のことに、どうしてそんなに騒ぎ立てるのか」
と歌い、穴穂御子に向かって、

「ご同母の兄を攻めれば世間の笑いものになります。私どもが捕えて差し出します」
と言いました。

穴穂御子は軍を退かせ、やがて宿禰兄弟は軽皇子を捕えてきました。

捕らえられた軽皇子は、妹の軽大郎女を思いやり、
「雁よ、軽のお嬢さん。そんなに泣くと人に気づかれる。波佐の山の鳩のように、忍び泣くがよい」

「雁よ、軽のお嬢さん。寄り添って共に寝よう」
と歌いました。

ついに穴穂御子は軽皇子を伊予の道後温泉に流しました。

そのとき大郎女は、
「浜辺の牡蠣殻でお足をお痛めなさらぬよう、どうぞお気をつけください」
と歌を贈り、やがて恋しさに耐えきれず、兄の後を追って伊予へ向かいました。

軽皇子は妹に再会して、
「泊瀬の山に旗を立てるように、愛しい妻よ、起きても寝てもおまえを思っている」
「泊瀬の川に神聖な杭を打ち、鏡や玉を掛けるように、私の妻こそ鏡のように、玉のように大切な人だ」

と歌い、二人は固く結ばれました。

しかしその恋は叶うことなく、やがて二人はともにその地で命を絶ちました。

この悲恋の物語は、のちに「衣通郎女(そとおしのいらつめ)」の名とともに語り継がれることとなりました。