神社と神話
神社で開運!
古事記現代語訳

古事記現代語訳(37)神功皇后の母方の祖先

神功皇后のお母方のご先祖については、次のようなお話が伝わっています。

むかし新羅の国に、阿具沼(あぐぬま)という大きな沼がありました。

ある日、その沼のほとりで、一人の女性が昼寝をしていると、不思議なことに、日の光が虹のようになって、その女性のお腹にさっと射しこみました。

その様子を通りかかった一人の農夫が見て、「これは、なんと不思議ことだ」と思い、それから折にふれて女性の様子を見ていました。

すると女性はまもなく身ごもり、一つの赤い玉を生み落としました。農夫はその玉をもらい受け、布に包んで常に腰につけていました。

ある日、その農夫が谷間の田畑で働く人々の食べ物を牛に背負わせて運んでいると、たまたま新羅の国王の子・天之日矛(あめのひほこ)に会いました。

天之日矛はこれを怪しんで、「おまえ、その牛を殺して食べるつもりだろう」と責め立て、その農夫を捕らえて牢に入れようとしました。

農夫は必死に弁明しましたが、聞き入れられません。そこでやむなく、腰に下げていた赤い玉を差し出しました。

天之日矛は農夫を赦し、その玉を持ち帰って床の間に飾りました。するとその玉は、たちまち一人の美しい乙女に姿を変えました。

天之日矛はその乙女を妻に迎えました。妻は毎日、さまざまな珍しいお料理を作り、夫に尽くしましたが、やがて夫は、驕り高ぶり、妻を罵るようになりました。

すると妻はついに堪えかねて、

「私はもともと、あなたのような人の妻になるような女ではありません。母の国に帰ります」

と言い残し、小舟に乗って逃げ、摂津の難波の津にたどり着きました。

この女性は難波の比売碁曽(ひめこそ)の社においでになる阿加流比売(あかるひめ)という神でした。

現在、大阪市東成区の比売許曽神社は、阿加流比売ではなく、大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)を祀っています。

大阪市平野区の杭全神社(くまたじんじゃ)の境外末社、赤留比売命神社(あかるひめのみことじんじゃ)や、大阪市西淀川区の姫嶋神社では、阿加流比売を祀っています。

とくに姫嶋神社は、「やり直し神社」とも呼ばれ、今後、離婚や転職でやりなおししたい人々を新しい門出へと導いてくれる神社として有名です。

天之日矛は妻を追いかけて海を渡ろうとしましたが、海の神に阻まれて難波には入れず、やむなく但馬の国へ回り、そこに住みつきました。

そこで地元の娘・遅摩之俣尾(たじまのまたお)の娘の前津見(まえつみ)を妻とし、その子孫は代々続きました。

その後裔の一人に、多遅摩毛理(たじまもり)があり、その人は垂仁天皇の命を受けて常世国へ渡り、橘の実を求めた人物として知られています。

また、天之日矛から七代目の孫にあたる高額比売命(たかぬかひめ)が、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)つまり、神功皇后のお母さまとなられました。

神功皇后と阿加流比売は、無関係のようです。残念です。

天之日矛が日本に渡来したとき、彼は八種の宝物を携えていました。

玉を連ねた玉津宝(たまつたから)二本、珠二貫(たまふたつら)、振浪領巾(なみふるひれ)、切浪領巾(なみきるひれ)、振風領巾(かぜふるひれ)、切風領巾(かぜきるひれ)、奥津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)――これらを合わせて八種の宝といいます。

これらはのちに、出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)として、出石神社に祀られることになりました。

現在、兵庫県豊岡市の出石神社は、但馬における一宮(いちのみや)神社ということで「いっきゅうさん」の名で親しまれ、ここに天之日矛が祀られています。境内には、禁則地があり、入ると祟りがあるとされるので注意が必要。

成務天皇、仲哀天皇、神功皇后のお三方は、架空の人物という説もありますが、「日本書紀」では、神功皇后だけに一巻を割いています。なので、朝鮮半島への遠征はともかく、神功皇后という女性は実在したという説が有力です。

また、神功皇后は、邪馬台国の女王卑弥呼や後継者の台与(とよ)ではないかとする説もあります。

卑弥呼については、崇神天皇の皇女「豊鉏入日売命」、邇邇芸命の母の「万幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)」、第7代孝霊天皇の皇女「母母曽毘売(ももそひめ)」など、様々な説があります。