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古事記現代語訳

古事記現代語訳(51)雄略天皇②白い犬

大長谷若建命(おおはつせのわかたけのみこと)、のちの第21代雄略天皇は、やがて大和の長谷(はつせ)の朝倉宮にお遷りになり、天下をお治めになりました。

この御代には、大陸から呉人(くれびと)が渡来し、その人たちが住む土地を呉原(くれはら)と呼びました。

雄略天皇は、亡き大日下王の妹にあたる若日下王を皇后とされました。

皇后がまだ河内の日下におられた時、雄略天皇は大和から近道の日下の直越(ただごえ)の峠を越えて、皇后のもとへお向かいになりました。

その道中、天皇が生駒山の上から、四方の村々を見渡されますと、屋根の棟に鰹木を載せた一軒の家が目にとまりました。

鰹木は本来、天皇の宮殿か神社でなければ許されぬ格式の飾りなのです。

長谷の朝倉宮は、奈良県桜井市黒崎または岩坂。また、同市脇本遺跡も、朝倉宮の有力な候補地とされています。

呉人は、中国南北朝時代の南朝の人で、呉原は、現在、栗原と呼ばれ、明日香村阿部山にある「キトラ古墳」の丘陵の東に位置しています。

河内の日下は、東大阪市日下町あたり。

「日下の直越の峠」は、生駒山の暗峠(くらがりとうげ)を越える道だとされています。大和から直線的に越えるので直越といいます。河内と大和を最短で結ぶ古道です。「暗がり」の名称の起源は、樹木が鬱蒼と覆い繁り、昼間も暗い山越えの道であったからという説や「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返りそうになることから、鞍返り峠と言われるようになったという説があります。

天皇はお供の者に尋ねられました。

「あの飾り木を載せた家は誰の家か?」

志幾(しき)の大県主の家でございます」と答えが返ってきました。

これをお聞きになった天皇は、

「不遜なやつめ、自分の家をわが宮に似せて造っているな!」

とお怒りになり、家を焼き払えと命じられました。

大県主は恐れおののき、平伏して申しました。

「愚かにも分をわきまえず、過ってこのように造ってしまいました。どうかお許しください」と謝罪し、お詫びの印として一匹の白い犬を献上しました。

犬には布をまとわせ、鈴を飾り、腰佩(こしはき)という身内の者に縄を取らせて差し出したのです。

天皇はこれを受け入れ、家を焼き払うことをお許しになりました。

やがて皇后のもとに着くと、白犬を差し出して仰せになりました。

「これは今日の道中で得た珍しい生き物だ。結納の品としておまえに贈ろう」

しかし若日下王は、静かに答えられました。

「本日あなたは太陽を背にしてお越しになりました。それは天照大御神に対して畏れ多いこと。そのため今日はお会いできません。改めて私の方からお仕えに参りましょう」

こうして天皇は一人お戻りの途中、山の坂に立ちとどまり、皇后を慕う思いを歌に託されました。

日下部の山と、平群の山との谷間谷間に繁る樫の木よ。その根元には笹が茂り、枝先には竹が繁っている。あの竹のように、早く重なり合って添い寝をしたいものだ、愛しい妻よ」

この御歌を若日下王へお送りになり、その後まもなく皇后は朝倉宮へお上がりになりました。

志幾は志紀郡のことで、志幾の大県主の家は大阪府藤井寺市惣社(そうしゃ)にあったとされています。志貴県主(しきあがたぬし)神社があります。

日下部の山は、現在の生駒山。

平群の山は、現在の信貴山。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

若日下部の王

大長谷の若建わかたけの命、長谷はつせ朝倉あさくらの宮にましまして、天の下治らしめしき。

初め大后、日下にいましける時、日下の直越ただこえの道より、河内にでましき。ここに山の上に登りまして、國内を見けたまひしかば、堅魚かつをを上げて舍屋を作れる家あり。天皇その家を問はしめたまひしく、「その堅魚かつをを上げて作れる舍は、誰が家ぞ」と問ひたまひしかば、答へて曰さく、「志幾しき大縣主おほあがたぬしが家なり」と白しき。ここに天皇詔りたまはく、「奴や、おのが家を、天皇おほきみ御舍みあらかに似せて造れり」とのりたまひて、すなはち人を遣して、その家を燒かしめたまふ時に、その大縣主、かしこみて、稽首のみ白さく、「奴にあれば、奴ながらさとらずて、過ち作れるが、いと畏きこと」とまをしき。かれ稽首のみ御幣物ゐやじりを獻る。白き犬に布をけて、鈴を著けて、おのがやから、名は腰佩こしはきといふ人に、犬のつなを取らしめて獻上りき。かれその火著くることを止めたまひき。すなはちその若日下部の王の御許みもとにいでまして、その犬を賜ひ入れて、詔らしめたまはく、「この物は、今日道に得つるめづらしき物なり。かれ妻問つまどひの物」といひて、賜ひ入れき。ここに若日下部の王、天皇にまをさしめたまはく、「日にそむきていでますこと、いと恐し。かれおのれただにまゐ上りて仕へまつらむ」とまをさしめたまひき。ここを以ちて宮に還り上ります時に、その山の坂の上に行き立たして、歌よみしたまひしく、

日下部の 此方こちの山
疊薦たたみこも 平群へぐりの山の、
此方此方こちごち 山のかひ
立ちざかゆる 葉廣はびろ熊白檮くまかし
本には いくみだけ生ひ、
すゑへは たしみ竹生ひ、
いくみ竹 いくみは寢ずたしみ竹
たしみ竹 たしには率宿ゐね
後もくみ寢む その思妻、あはれ。  (歌謠番號九二)
すなはちこの歌を持たしめして、返し使はしき。

 

  • 日下(大阪府北河内郡生駒山の西麓)
  • 日下の直越の道(生駒山のくらがり峠を越える道。大和から直線的に越えるので直越という)
  • 堅魚を上げて舍屋を作れる家(屋根の上に堅魚のような形の木を載せて作つた家。大きな屋根の家。カツヲは、堅魚木の意。屋根の頂上に何本も横に載せて、葺草を押える材)
  • 稽首御幣物(敬意を表するための贈物)
  • 妻問の物(妻を求むる贈物)
  • 日下部の 此方の山(今立っている山、生駒山)
  • 疊薦(枕詞)
  • 平群の山(奈良県生駒郡の山)
  • 此方此方(あちこちの)
  • いくみ(茂った竹)
  • たしみ竹(しっかりした竹)
  • いくみは寢ずたしみ竹(密接しては寝ず)
  • たしには率宿(しかとは共に寝ず)