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古事記現代語訳

古事記現代語訳(50)雄略天皇①市辺之忍歯王の暗殺

目弱王の変が片づいた後、ほどなくして、安康天皇の弟である大長谷若建命(おおはつせのわかたけるのみこと)、のちの雄略天皇のもとへ近江の佐々紀の山の君の祖先である韓袋(からふくろ)という者が参り、申しあげました。

近江の久多綿(くたわた)の蚊屋野(かやの)という所には、鹿が群れをなしておりまして、その足はまるで薄原のすすきのように見え、角は枯れ松林のように乱立しております。」

これを聞いた大長谷若建命は、「それは面白い」とお思いになり、従兄にあたる履中天皇の皇子・市辺之忍歯王を誘って、近江へと赴かれました。

やがて蚊屋野に到着されると、お二人はそれぞれ別々に仮宮を設けて、そこで一夜をお過ごしになりました。

翌朝、まだ日も昇らぬうちに市辺之忍歯王は目を覚まし、馬に乗って大長谷若建命の仮宮の前へ赴き、従者に向かってこう告げられました。

「まだお目覚めになりませんか?夜はもう明けましたよ。猟場においでなさいませ」

この言葉を伝え聞いた大長谷若建命の側近は、不審に思い、こう進言しました。

「市辺之忍歯王はおかしなことをおっしゃいました。どうか油断なさらず、御身を固めてお出ましください。」

そこで大長谷若建命は警戒して、お召物の下に鎧を着込み、弓矢を手に馬にまたがると、たちまち忍歯王を追って駆け出しました。

やがて両者は馬を並べて進みましたが、大長谷若建命は隙を狙って矢を抜き放ち、何ら罪のない市辺之忍歯王を射落としました。

さらにその亡骸を切り刻み、馬の飼葉桶に入れて、土の中に埋めてしまわれました。

近江の久多綿の蚊屋野は、滋賀県愛知郡秦荘町上蚊野(えちぐんあいしょうちょうかみがの)か蒲生郡日野町鎌掛(がもうぐんひのちょうかいがけ)ではないかとされています。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

市の忍齒の王①暗殺

これより後、淡海の佐佐紀ささきやまの君がおや、名は韓帒からふくろ白さく、「淡海の久多綿くたわた蚊屋野かやのに、猪鹿ししさはにあり。その立てる足は、すすき原の如く、指擧ささげたるつのは、枯松からまつの如し」とまをしき。この時市の忍齒おしはの王相率あともひて、淡海にいでまして、その野に到りまししかば、おのもおのもことに假宮を作りて、宿りましき。

ここに明くる旦、いまだ日も出でぬ時に、忍齒の王、つねの御心もちて、御馬みまに乘りながら、大長谷の王の假宮の傍に到りまして、その大長谷の王子の御伴人みともびとに詔りたまはく、「いまだも寤めまさぬか。早く白すべし。夜は既にけぬ。獵庭かりにはにいでますべし」とのりたまひて馬を進めて出で行きぬ。ここに大長谷の王の御許みもとに侍ふ人ども、「うたて物いふ御子なれば、御心したまへ。また御身をも堅めたまふべし」とまをしき。すなはちみその中によろひし、弓矢をばして、馬に乘りて出で行きて、忽の間に馬より往きならびて、矢を拔きて、その忍齒の王を射落して、またそのみみを切りて、ぶねに入れて、土と等しく埋みき

  • 佐佐紀の君が(佐佐紀の山の君の祖先。山の君はカバネ)
  • 淡海の久多綿蚊屋野(滋賀県愛知郡)
  • 市の忍齒の王(履中天皇の皇子)
  • うたて物いふ御子なれば、御心したまへ(変わったものをいう皇子だから注意しなさい)
  • 馬より往きびて(馬上で進んで並んで)
  • (馬の食物を入れる箱)
  • 土と等しく埋みき(土と共に埋めた)

志自牟が新室楽に続く