帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)、第十四代・仲哀天皇は、穴門豊浦宮(あなとのとよらのみや)と筑紫の香椎宮(かしいのみや)において天下をお治めになりました。
皇后の息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、すなわち神功皇后は、神懸かりをなさる方でした。
ある年、天皇は熊曽征伐のため筑紫香椎宮にお出ましになり、戦の手立てを神に問おうと、大臣・武内宿禰を祭場に据え、ご自分は琴を弾かれました。
すると皇后に神が憑りつき、その口を借りて告げました。
「西の方に豊かな国がある。金銀をはじめ、数多の宝に満ちている。つまらぬ熊曽より、まずその国を与えよう」
仲哀天皇は高台から西を望みましたが、果てしなく広がる海しか見えず、心中で「これは嘘だ。神の偽物だ」と思い、琴を押し退け黙ってしまわれました。
すると神は怒り、
「この国はお前の治めるべき国ではない。お前はもう不要だ」
と告げました。
武内宿禰は慌てて「恐れ多いことです、陛下、どうか琴をお弾きください」と諫め、天皇はしぶしぶ再び弾かれましたが、まもなく琴の音は途絶え、灯を点してみると、天皇はすでに崩御されていたのです。
御年五十二。御陵は河内の恵賀の長江にあります。
皇后と宿禰は恐れおののき、まず亡骸を仮宮に移し、国中の穢れを祓うため、生剥(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、畦離(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、屎戸(くそと)、上通下通婚(おやこたはけ)、馬婚(うまたはけ)、牛婚(うしたはけ)、鶏婚(とりたはけ)、犬婚(いぬたはけ)の罪を犯した者たちを探し出し、大祓を行い、国中の穢れをすっかりなくしておしまいになりました。
そこで改めて神意を伺うと、神は「この国は皇后のお腹にいる御子が治めるべきである」と告げました。
武内宿禰が御子の性別を問うと「男の御子だ」と答え、さらに「あなた様はどなたでいらっしゃいますか」と尋ねると「これは天照大神の御心だ。ほかには、底筒男命、中筒男命、上筒男命の三神である」と明かしました。
神はさらに征伐の手順を授けました。
「もしその国を得ようと思うなら、天地、山、海、河の神々に供え物を捧げ、我らの御魂を船上に祀れ。槇の灰を瓢箪に入れ、箸や皿を多く作り、それらを大海に散らして渡りなさい」
皇后は教えの通りに軍勢を整え、数多の船を並べて出陣しました。
すると海中の魚たちが船を背に負い、追い風が激しく吹いて船団は一気に進み、新羅の国へと押し寄せました。
大波は津波となって国の半ばにまで達し、軍勢はその勢いのまま攻め込みました。
恐れた新羅の王は平伏し、
「今より永遠に天皇にお仕えし、馬飼いとなり、船の腹や棹の乾く暇もなく貢ぎ続けましょう」
と誓いました。
そしてその印に、お杖を、新羅の王宮の門に突き刺しておきました。
こうして新羅を馬飼いと定め、百済を渡海の拠点とし、さらに住吉の大神の荒御魂をこの国の守り神として祀り、威風堂々と凱旋されました。
大阪の住吉大社は、このとき神功皇后に神託を降ろし、新羅遠征を助けたとされる、底筒男命、中筒男命、上筒男命、そして神功皇后を御祭神とし、今もその御神徳を伝えています。
『日本書紀』は、新羅が朝貢してこなかったため、朝鮮遠征は、二度あったと記載されています。