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古事記現代語訳

古事記現代語訳(9)大国主命と因幡の白兎

須佐之男命の六代目の子孫に、大国主命(おおくにぬしのみこと)、またの名を大穴牟遅神(おおなむちのかみ)という立派な神さまがお生まれになりました。

大穴牟遅神とは、「大地持、大いなる土地の神様」や「大名持、功績が多く有名な神様」という意味があります。

大国主命(おおくにぬしのみこと)には、多くの異母兄弟がおり、まとめて八十神(やそがみ)と呼ばれていました。

ここでいう「八十」は数のことではなく「大勢」という意味です。

その八十神たちは皆、因幡の国にいる八上比売(やがみひめ)という美しい姫を妻に迎えようと思い立ち、そろって因幡へ向かいました。

八上比売は、鳥取県八頭郡八上の地に住んでいた姫のこと。現在の鳥取市河原町。「アユの町」として有名。

大国主命は、優しい性格を利用され、兄たちの荷物を背負わされ従者のように同行させられました。

一行が因幡の気多の岬に着くと、そこには毛が抜け落ち、裸同然の兎が苦しげに地面に横たわっていました。

八十神たちは兎を見てからかいました。

「兎よ、毛を生やしたければ、この海に浸かって、風に吹かれて寝ていればよい。」

兎は言われた通りに潮水を浴び、風に吹かれながら横たわりました。

ところが、潮が乾くにつれ皮膚がひび割れて裂け、耐えがたい痛みに泣き伏してしまいました。

そのとき最後に通りかかった大国主命が優しく声をかけました。

「兎さん、どうしてそんなに泣いているのですか。」

兎は涙ながらに語りました。

「私は隠岐の島におりましたが、この本土へ渡りたくて仕方がありませんでした。そこで海の鮫をだまして、『おまえと私と、どちらが一族が多いか競べよう。皆を並べて、この島から気多の岬まで続けよ。私はその背を踏んで数を数えよう』と言いました。

兎の住んでいた島は、海岸から約150メートル沖合にある淤岐ノ島(おきのしま)か、島根半島の北方約50キロメートルに位置する隠岐島(おきのしま)とされています。

気多の岬は、鳥取市白兎(はくと)海岸付近の岬。現在の鳥取県鳥取市白兎。

引用元:flickr

たちは信じて一列に並びました。

私はその背を踏んで渡り、もう岸に上がろうとしたとき、からかって『だまされたな!』と言ってしまったのです。

怒った最後の鮫に捕まり、毛を剥がされて裸にされてしまいました。

泣いていたところ、先ほど通った八十神たちが『海水を浴びて風に当たれ』と教えたので、その通りにしたらますます皮が裂け、苦しんでいるのです。」

『古事記』では、兎に騙されたの生き物を「海和邇(うみわに)」だと記しています。しかし日本にワニはいないため、シュモクザメや大型の鮫であるフカを指すとも言われます。

これを聞いた大国主命は兎を哀れみ、教えてあげました。

「すぐにあそこの水門へ行って真水で身体を洗いなさい。そして蒲の花粉を敷き、その上を転がりなさい。そうすれば元の肌に戻れるはずです。」

兎は言われた通りにし、たちまち元の白い毛を取り戻しました。

これが「因幡の白兎」の伝承です。兎は後に「兎神」と呼ばれ、今も信仰の対象となっています。

2010年に「恋人の聖地」に認定され鳥取市の白兎海岸が舞台とされ、近くの白兎神社は皮膚病平癒や縁結びのご利益で知られています。

引用元:flickr

また出雲大社は、日本で最初に医療行為を行った大国主命が祀られているということで、医師の参拝が多いそうです。

兎は感謝して大国主命に言いました。

「あの八十神たちは、決して八上比売を得られません。彼らの袋を背負わされているあなたこそ、姫を妻に迎えるでしょう。」

その後、八十神たちは八上比売のもとに到着し、代わる代わる求婚しました。しかし姫は答えました。

「私は、あなたたちの言葉には従いません。私は大国主命を夫としたいと思います。」

兎の予言通りとなったのです。

古事記の原文では「稲羽之素菟」と書かれ、「素」は「毛をむしられ裸になった」という意味と「白」の意味を重ねています。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

四.大國主の神

菟と鰐

かれこの大國主の神の兄弟はらから八十やそましき。然れどもみな國は大國主の神にりまつりき。避りし所以ゆゑは、その八十神おのもおのも稻羽いなば八上やかみ比賣よばはむとする心ありて、共に稻羽に行きし時に、大穴牟遲おほあなむぢの神に袋を負せ、從者ともびととしてて往きき。ここに氣多けたさきに到りし時に、あかはだなるうさぎ伏せり。ここに八十神その菟に謂ひて云はく、「いましまくは、この海鹽うしほを浴み、風の吹くに當りて、高山の尾の上に伏せ」といひき。かれその菟、八十神の教のまにまにして伏しつ。ここにその鹽の乾くまにまに、その身の皮悉に風に吹きかえき。かれ痛みて泣き伏せれば、最後いやはてに來ましし大穴牟遲の神、その菟を見て、「何とかも汝が泣き伏せる」とのりたまひしに、菟答へて言さく「あれ淤岐おきの島にありて、このくにに度らまくほりすれども、度らむよしなかりしかば、海の鰐を欺きて言はく、われいましと競ひてやからの多き少きを計らむ。かれ汝はその族のありのことごとて來て、この島より氣多けたさきまで、みなみ伏し度れ。ここに吾その上を蹈みて走りつつ讀み度らむ。ここに吾が族といづれか多きといふことを知らむと、かく言ひしかば、欺かえてみ伏せる時に、吾その上を蹈みて讀み度り來て、今つちに下りむとする時に、吾、いましは我に欺かえつと言ひをはれば、すなはち最端いやはてに伏せる鰐、あれを捕へて、悉に我が衣服きものを剥ぎき。これに因りて泣き患へしかば、先だちて行でましし八十神の命もちてをしへたまはく、海鹽うしほを浴みて、風に當りて伏せとのりたまひき。かれ教のごとせしかば、が身悉にそこなはえつ」とまをしき。ここに大穴牟遲の神、その菟に教へてのりたまはく、「今くこの水門みなとに往きて、水もちて汝が身を洗ひて、すなはちその水門のかまはなを取りて、敷き散して、その上にまろびなば、汝が身本のはだのごと、かならずえなむ」とのりたまひき。かれ教のごとせしかば、その身本の如くになりき。こは稻羽いなば素菟しろうさぎといふものなり。今には菟神といふ。かれその菟、大穴牟遲の神に白さく、「この八十神は、かならず八上やがみ比賣を得じ。袋を負ひたまへども、汝が命ぞ獲たまはむ」とまをしき。

ここに八上やがみ比賣、八十神に答へて言はく、「吾は汝たちの言を聞かじ、大穴牟遲の神にはむ」といひき。

  • 兄弟八十(多くの神。神話にいう兄弟は、真実の兄弟ではない。)
  • 稻羽八上比賣(鳥取県八頭郡八上の地にいた姫)
  • 大穴牟遲の神に袋を負せ、從者としてて往きき(七福神の大黒天を大国主の神と同神とする説があるのは、大国と大黒と字音が同じなのと、ここに袋を背負ったことがあるからであるが、大黒天はもとインドの神で別である)
  • 氣多(島根県気高郡末恒村の日本海に出た岬角)
  • 淤岐の島(日本海の隠岐の島。ただし気多の前の海中にも伝説地がある)
  • 海の鰐(フカの類。やがてその知識に、蛇、亀などの要素を取り入れて想像上の動物として発達した。フカの実際を知らない者が多かったからである)
  • (カマの花粉)