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古事記現代語訳

古事記現代語訳(22)神武天皇と二人の妻

神武天皇は、最初に日向の国においでになった時、阿多之小椅君(あたのをばしのきみ)の妹・阿比良比売(あひらひめ)を妃とし、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)と岐須美美命(きすみみのみこと)の二人の御子をもうけられました。

しかし、やがて皇后(正妻)となるにふさわしい乙女を求められた折、大久米命が申し上げました。

「でしたら、大空の神の血を引く、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)という美しい乙女がいらっしゃいます。その昔、三輪の大物主神が、三嶋湟咋(みしまみぞくひ)の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)が厠(かわや)にいる時に、丹塗矢、つまり、赤く塗った矢となって現れ、その矢を比売が持ち帰ると、立派な男性となって契りを結ばれました。その後に生まれたのが、この伊須気余理比売でございます」と。

大物主神は、奈良県桜井市の大神神社に祀られています。大物主神は、出雲の大国主神と同一の神様だという説もあります。

伊須気余理比売は、富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)という名前でしたが、ホト、つまり、陰部という響きを嫌って、比売多多良伊須気余理比売に改めたのです。

天皇は大久米命を伴って、その比売をご覧に出向かれました。

大和の高佐士野(たかさじの)で七人の乙女が野遊びをしており、その中に伊須気余理比売も混じっていました。

高佐士野は、現在の奈良県桜井市、狭井(さい)川付近です。

大久米命が「この中のどなたをお召しになりますか」と歌でおたずねすると、天皇はすぐに悟り、「一番前に立っているあの娘を妻としよう」と歌でお答えになりました。

大久米命がその旨を伝えると、比売は不思議そうに彼の目尻の入れ墨を見て、「つばめ、セキレイ、千鳥、ホオジロかしら?どうしてそんなに大きくて鋭い目なの?」と歌いました。

大久米命は「あなたを探し求めるために、この目を持っているのです」と歌い返しました。

比売の家は佐韋河(さいがわ)のほとりにあり、河原には山百合が咲き誇っていました。山百合の元の名は佐韋と言います。

天皇はそこに宿をとられ、一夜を共に過ごされました。のちに比売は宮中に上がり、正式に皇后となられました。

そこで天皇が読んだ歌は、

葦原の粗末な小屋に、菅の蓆(むしろ)を清らかに敷いて、二人で寝転がったよね。

お二人の間には、日子八井命(ヒコヤイノミコト)・神八井耳命(かむやいみみのみこと)・神沼河耳命(カムヌナカハミミノミコト)の三柱の御子が生まれました。

神武天皇は後に御年百三十七歳で崩御され、その御陵は畝傍山北の白檮尾上(おのえ)に営まれました。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

大物主の神の御子

かれ日向にましましし時に、阿多あた小椅をばしの君が妹、名は阿比良あひら比賣に娶ひて、生みませる子、多藝志美美たぎしみみの命、次に岐須美美きすみみの命、二柱ませり。然れども更に、大后おほぎさきとせむ美人をとめぎたまふ時に、大久米の命まをさく、「ここに媛女をとめあり。こを神の御子なりといふ。それ神の御子といふ所以ゆゑは、三島の湟咋みぞくひが女、名は勢夜陀多良せやだたら比賣、それ容姿麗かほよかりければ、美和の大物主の神、見でて、その美人をとめ大便くそまる時に、丹塗にぬりになりて、その大便まる溝より、流れ下りて、その美人の富登ほとを突きき。ここにその美人驚きて、立ち走りいすすぎき。すなはちその矢を持ち來て、床の邊に置きしかば、忽に麗しき壯夫をとこに成りぬ。すなはちその美人に娶ひて生める子、名は富登多多良伊須須岐比賣ほとたたらいすすきひめの命、またの名は比賣多多良伊須氣余理比賣ひめたたらいすけよりひめといふ。(こはその富登といふ事を惡みて、後に改へつる名なり。)かれここを以ちて神の御子とはいふ」とまをしき。

ここに七媛女をとめ高佐士野たかさじのに遊べるに、伊須氣余理比賣いすけよりひめその中にありき。ここに大久米の命、その伊須氣余理比賣を見て、歌もちて天皇にまをさく、

やまとの 高佐士野を
なな行く 媛女をとめども、
誰をしまかむ。  (歌謠番號一六)
  • 美和の大物主の神(奈良県磯城郡の三輪山の神。前に大国主の神の霊を祀るとしていた。大物主の神をも大国主の神の別名とするのだが、元来は別神だろう)
  • 丹塗(赤く塗った矢)
  • 立ち走りいすすぎき(立ち走り騒いだ)
  • 高佐士野(香具山の付近)
  • 誰をしまかむ(マカムは纏かむで、手に巻こう。妻としよう)
ここに伊須氣余理比賣は、その媛女どものさきに立てり。すなはち天皇、その媛女どもを見て、御心に伊須氣余理比賣の最前いやさきに立てることを知らして、歌もちて答へたまひしく、
かつがつも いや先立てる をしまかむ。  (歌謠番號一七)
ここに大久米の命、天皇の命を、その伊須氣余理比賣にる時に、その大久米の命のける利目とめを見て、あやしと思ひて、歌ひたまひしく、
天地あめつつ ちどりましとと などける利目とめ。  (歌謠番號一八)
ここに大久米の命、答へ歌ひて曰ひしく、
媛女に ただに逢はむと が黥ける利目とめ。  (歌謠番號一九)
  • かつがつも(わずかに)
  • ける利目(目じりに入墨をして目を鋭く見せようとした)
  • ちどりましとと(語義不明。千人に勝れる人の義という)
  • に逢はむ(直接に逢おうとして)
かれその孃子をとめ、「仕へまつらむ」とまをしき。ここにその伊須氣余理比賣の命の家は、狹井さゐうへにあり。天皇、その伊須氣余理比賣のもとにでまして、一夜御寢みねしたまひき。(その河を佐韋河といふ由は、その河の邊に、山百合草多くあり。かれその山百合草の名を取りて、佐韋河と名づく。山百合草の本の名佐韋といひき。)
後にその伊須氣余理比賣いすけよりひめ宮内おほみやぬちにまゐりし時に、天皇、御歌よみしたまひしく、
葦原の しけしき小屋をや
菅疊すがたたみ いやさや敷きて
わが二人寢し。  (歌謠番號二〇)
然してれませる御子の名は、日子八井ひこやゐの命、次に神八井耳かむやゐみみの命、次に神沼河耳かむななかはみみの命三柱
  • 狹井(三輪山から出る川)
  • しけしき小屋(きたない小舍に)
  • いや敷きて(菅で編んだ敷物をさっぱりと敷いて)
  • 神沼河耳の命(綏靖天皇)