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古事記現代語訳

古事記現代語訳(56)雄略天皇⑤春日袁杼比売(かすがのをどひめ)と三重采女(みえのうねめ)

雄略天皇は、丸邇佐都紀臣(わにのさつきのおみ)の娘・春日の袁杼比売(をどひめ)を皇后とするため春日へ赴かれた折、道で袁杼比売と出会われました。

しかし比売は恥じらい、岡の辺まで逃げ隠れました。

そこで天皇は歌を詠まれました。

――丈夫な鋤がたくさんあればよいのに。あの乙女の隠れている岡の土を掘り払ってしまえるのに――

この歌にちなみ、その岡を「金鋤岡(かなすきのおか)」と名付けました。

また、雄略天皇は長谷の大きな欅(けやき)の木の下で、新嘗祭の豊楽(とよのあかり)の酒宴を催されました。

そこに伊勢の国出身の三重采女(みえのうねめ)が盃を捧げ、天皇にお酒を奉りました。すると、けやきの葉が一枚、盃に落ちましたが、采女は気づかずそのまま注ぎ続けました。

天皇はその葉を目にとめ、怒って采女を打ち伏せ、刀を抜いて首を斬ろうとなさいました。

すると采女は必死に願い出て、次のような長歌を詠みました。

――纏向の日代宮(ひしろのみや)は朝日も夕日も射し渡る、堅固な地に建つ大宮殿。外には大欅がそびえ、その枝は天を覆い、中の枝は東国を覆い、下の枝は田舎の地を覆う。枝々の葉は落ち合い、やがて采女の捧げる盃に浮かんだ。

それは天地創成の折、大地が油のように漂っていたさまを思わせる。尊くもめでたいこと、まことに畏れ多い尊い御子――

この歌に感じ入られた天皇は采女をお許しになり、さらに多くの贈り物を賜りました。

これを喜んだ皇后・若日下王(わかくさかのおおきみ)も歌をお詠みになりました。

――大和の高市の高台に生える神聖な椿の葉のように大きく広らかに、花のように美しく照り映える天皇が采女をお許しくださった。この尊き御心を讃え、盃を献れ――

さらに雄略天皇も愉快げにお歌いになりました。

――宮廷に仕える人々は鶉のようにひれを掛け、鶺鴒のように尾を振り合い、雀のように群がって、今日もまた盛んに酒宴をしている――

こうして宴は大いに賑わい、采女は罪を許されただけでなく多くの賜り物を得て喜びました。

この日、春日の袁杼比売も御酒を奉りました。そのとき天皇は歌われました。

――水の滴るように美しい乙女が銚子を持っている。しっかり持っておくれ、力を込めて、銚子を持つ乙女よ――

これは宇岐歌(うきうた)と伝わります。

袁杼比売も歌を奉りました。

――天下を統べる天皇よ。朝にも夕にも寄りかかる脇息、その下の板のように、私はいつもあなたを支え申したい――

これは志都歌(しずうた)と呼ばれています。

雄略天皇はその後、御年百二十四歳で崩御され、御陵は河内の多治比(たじひ)の高鸇(たかわし)に営まれました。

埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣には「獲加多支鹵(わかたける)大君」との銘が刻まれており、大長谷若建命、すなわち雄略天皇が日本列島の広大な範囲を支配していたことを示しています。