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古事記現代語訳

古事記現代語訳(57)大魚をめぐる争い

意富祁王(おおけのみこ)と袁祁王(おけのみこ)の兄弟は、叔母・飯豊王のもと角刺宮で成長されました。

ある時、弟の袁祁王は「歌垣」という若い男女が集まって歌を掛け合い、縁を結ぶ催しにお出かけになりました。

歌垣は、今でいうところの街コンや婚活パーティーのようなイベントです。奈良県桜井市海石榴市(つばいち)は、しばしば歌垣の舞台になっていたことで有名。

そこには、かねてより袁祁王が心を寄せていた菟田首(うだのおびと)の娘・大魚(おおうお)も参加していました。

ところが、この大魚の手を握っていたのは、当時権勢を誇っていた平群臣の祖・志毘臣(しびのおみ)でした。

志毘は大魚を自分のものにしようとし、わざと袁祁王を挑発する上の句を詠みました。

「お宮の小さな出っ張りは、隅が傾いている」

袁祁王は即座に応えました。

「それは大工が下手だったからだ」

さらに志毘が歌います。

「皇子様は気が弱いのか、私の結い巡らせた八重の柴垣の中へは、とうてい入れまい」

袁祁王も負けずに歌いました。

「荒波が打ち寄せ砕けるところ、そこに泳ぐ鮪(しび)の傍らに、私の妻がいる」

「しび」とはマグロのことで、当時は安価で取るに足らぬ魚とされました。袁祁命はここで「志毘」と「鮪」を掛けて嘲ったのです。

志毘は怒りをあらわにして歌いました。

「皇子の結った柴垣は、しっかりしているように見えても、多くの節に結び目があり、切れる柴垣、焼ける柴垣だ!」

すると袁祁王は、さらに切り返しました。

「大魚を得ようと鮪を突く海人よ。その魚が逃げれば悲しいだろう。だが鮪は所詮魚にすぎぬ。志毘臣よ、いかに威張ろうとも、お前は突かれる鮪だ」

こうして両者は一晩中、歌を掛け合って明かしました。

翌朝、袁祁王は兄の意富祁王に話しました。

「志毘は驕り高ぶり、俺たちを馬鹿にしている。朝廷の人々も朝だけは宮に出仕するが、昼には志毘の家に集まって媚びている。あいつは放ってはおけぬ。今こそ討つべきだ」

ちょうどその頃、志毘は疲れて眠り、人の出入りもなく警備も手薄であると知るや、兄弟は兵を集めて志毘の家を囲み、ついにこれを討ち滅ぼしました。

『日本書紀』にも類似の物語が記されています。日本書紀では、武烈天皇が、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)の娘の影媛(かげひめ)をめぐって、平群臣鮪(へぐりのおみしび)と歌垣で争い、大伴金村に命じて鮪を討ち取らせたことになっています。

この後、天下を治めるべき帝位をめぐり、兄弟は互いに譲り合いました。

順序からいえば兄の意富祁王が即位すべきでしたが、弟にこう言いました。

「播磨の志自牟の家に潜んでいた時、もしお前が名を名乗らなかったなら、我らは一生埋もれたままだった。今日こうして立つのはすべてお前の功績である。兄ではあるが、そなたが先に天下を治めよ」

袁祁王は固く辞退しましたが、兄の勧めに抗しきれず、ついに最初に帝位にお就きになったのです。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

歌垣

かれ天の下治らしめさむとせしほどに、平群へぐりの臣がおや、名は志毘しびの臣、歌垣うたがきに立ちて、その袁祁をけの命のよばはむとする美人をとめの手を取りつ。その孃子は、菟田うだおびと等が女、名は大魚おほをといへり、ここに袁祁の命も歌垣に立たしき。ここに志毘の臣歌ひて曰ひしく、

大宮の をとつ端手はたで すみかたぶけり。  (歌謠番號一〇六)
かく歌ひて、その歌の末を乞ふ時に、袁祁の命歌ひたまひしく、
大匠おほたくみ 拙劣をぢなみこそ 隅傾けれ。  (歌謠番號一〇七)
ここに志毘の臣、また歌ひて曰ひしく、
大君の 心をゆらみ
臣の子の 八重の柴垣
入り立たずあり。  (歌謠番號一〇八)
ここに王子また歌ひたまひしく、
潮瀬しほぜの 波折なをりを見れば
遊び來る しび端手はたで
妻立てり見ゆ。  (歌謠番號一〇九)
ここに志毘の臣、いよよ忿りて歌ひて曰ひしく、
大君の みこの柴垣、
八節結やふじまり しまりもとほし
れむ柴垣。燒けむ柴垣。  (歌謠番號一一〇)
ここに王子また歌ひたまひしく、
大魚おふをよし しび海人あまよ、
があれば うらこほしけむ
鮪衝く鮪。  (歌謠番號一一一)

 

  • 歌垣男女集まって互に歌をかけあう行事に出て)
  • をとつ端手あちらの出ている所)
  • 大匠拙劣みこそ(大工が下手だから)
  • 心をゆらみ(心がゆるいので)
  • 潮瀬の 波折を見れば(海水の瀬に打ちかかる波を見れば。ナヲリは、波が寄せて崩れるもの)
  • 八節結り りもとほし(多くの小間で結んで、結び廻らしてあるが)
  • 大魚よし(枕詞。大きい魚よ)
  • (シビは、マグロの大きいもの。ここは志毘の臣をいう。モリで突くから、シビツクという)
  • があれば うらしけむ(志毘があるので、姫が心中恋しく思われるだろう)
  • 鮪衝く鮪(その鮪を突く、鮪を。この歌、宣長は、別の時の王子の歌といい、橘守部は、志毘の臣の歌だという)
かく歌ひて、かがひ明して、おのもおのもあらけましつ。明くる旦時あした意祁おけの命、袁祁をけの命二柱はかりたまはく、「およそ朝廷みかどの人どもは、あしたには朝廷に參り、晝は志毘がかどつどふ。また今は志毘かならず寢ねたらむ。その門に人も無けむ。かれ今ならずは、謀り難けむ」とはかりて、すなはち軍を興して、志毘の臣が家をかくみて、りたまひき。
ここに二柱の御子たち、おのもおのも天の下を讓りたまひき。意富祁おほけの命、その弟袁祁の命に讓りてのりたまはく、「針間はりま志自牟しじむが家に住みし時に、が命名を顯はさざらませば、更に天の下知らさむ君とはならざらまし。これ既にが命のいさをなり。かれ吾、兄にはあれども、なほ汝が命まづ天の下を治らしめせ」とのりたまひて、堅く讓りたまひき。かれえいなみたまはずて、袁祁の命、まづ天の下治らしめしき。

 

  • かく歌ひて、ひ明して(歌をかけ合つて夜を明かして)
  • 意富祁の命(オケの命に同じ。仁賢天皇。元来、この兄弟は、オホ(大)、ヲ(小)を冠する御名になつているので、オケのオも大の意である)
  • が命名を顯はさざらませば(あなたが名を顕さなかったとしたら)