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古事記現代語訳

古事記現代語訳(19)豊玉比売と鵜葺草葺不合命

火遠理命は海のお宮から地上に戻りましたが、妻の豊玉比売は身ごもっていました。

やがて臨月を迎え、「天の神の御子を海中で産むべきではない」と考え、海を越えて地上へとやって来ました。

火遠理命は急いで産屋を建てました。

屋根は鵜の羽を重ねて葺きましたが、まだ作り終わらぬうちに豊玉比売は産気づき、中へ入りました。

そのとき彼女は、「人は皆、自分の国の習わしで産みます。私は本来の姿に戻って出産します。どうか覗かないでください」と夫に頼みました。

しかし火遠理命は心配になり、隙間から覗いてしまいます。

そこには、八尋(やひろ)もある大鮫となった豊玉比売が、うなりながら出産する姿がありました。

一尋は両手を左右に伸ばした長さをいい、おおよそ1.8メートル、八尋は14.4メートルです。

命は恐れて逃げ出し、豊玉比売は覗かれたことを恥ずかしく思い、子供を残したまま「もうここへは通ってくることはできません」と言い残し、海の道を閉ざして帰ってしまいました。

「見るな」のタブー破りは、伊邪那岐命と伊邪那美命の黄泉の国の話やギリシャ神話のオルフェウスの神話に似ています。鶴の恩返しや雪女など、古今東西共通のテーマです。

常に、女性が禁を命じて、男性がその禁を破ることによって別離になります。

こうして生まれた御子は、屋根が葺き終わらぬ産屋で誕生したため、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と名付けられました。

宮崎の日南市にある鵜戸神宮(うどじんぐう)は、豊玉比売が産屋を構えた地に建つ洞窟神社とされ、縁結びや安産のご利益で知られています。主祭神は、鵜葺草葺不合命です。

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洞窟内の「お乳岩」は、息子のために自分の乳房を岩に貼り付けていった跡とされ、岩から滴る乳水から作った飴で、鵜葺草葺不合命は育ったと伝えられています。その飴は、今も神社でいただけます。

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お世話をする母のいない御子の養育は、豊玉比売の妹・玉依比売に託されました。

豊玉比売は恨みを抱きつつも夫を恋しく思い、妹に託して歌を贈りました。

「赤い玉はその紐まで光り輝くほど立派であるが、白い玉のようなあなたの姿は、さらに尊く美しい」

火遠理命はこの歌に応えて、

「水鳥の鴨が降り着く島で契を結んだ私の妻は忘れられない。世の終りまでも」と誓いの歌を返しました。

火遠理命は高千穂宮に五百八十年留まり、やがて世を去ります。御陵はその高千穂の山の西にあります。

成長した鵜葺草葺不合命は叔母の玉依比売を妃とし、五瀬命(いつせのみこと)、稲飯命 (いないのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)と、のちに神武天皇になる神倭伊波礼毘古命 (かむやまといわれびこのみこと)の四子をもうけました。

御毛沼命は常世国へと渡り、稲飯命は母の国である海原へ入りました。

末子の伊波礼毘古命が高千穂に残り、東征を経て天下を治めました。

日本書紀では、四人兄弟全員が東征に参加しましたが、長男の五瀬命の死後、伊波礼毘古命以外の二人も海に入り、消息を絶っています。

伊波礼毘古命の生誕地は、宮崎県西諸県郡高原町の皇子原(おうじばる)神社とされています。皇子原神社は、狭野神社(さのじんじゃ)の末社で、伊波礼毘古命はご幼名を狭野尊(サノノミコト)といいます。

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「神武天皇」の称は漢風の諡号(しごう)といい、奈良時代に始まっています。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)

豐玉毘賣の命

ここにわたの神の女豐玉とよたま毘賣の命、みづからまゐ出て白さく、「あれすでに妊めるを、今こうむ時になりぬ。こを念ふに、天つ神の御子、海原に生みまつるべきにあらず、かれまゐ出きつ」とまをしき。ここにすなはちその海邊の波限なぎさに、鵜の羽を葺草かやにして、産殿うぶやを造りき。ここにその産殿うぶや、いまだ葺き合へねば、御腹のきにへざりければ、産殿に入りましき。ここに産みます時にあたりて、その日子ひこぢに白して言はく、「およそあだし國の人は、こうむ時になりては、もとつ國の形になりて生むなり。かれ、妾も今もとの身になりて産まむとす。願はくは妾をな見たまひそ」とまをしたまひき。ここにその言を奇しと思ほして、そのまさに産みますを伺見かきまみたまへば、八尋鰐になりて、匍匐ひもこよひき。すなはち見驚き畏みて、遁げ退きたまひき。ここに豐玉とよたま毘賣の命、その伺見かきまみたまひし事を知りて、うらやさしとおもほして、その御子を生み置きて白さく、「あれ、恆は海道うみつぢを通して、通はむと思ひき。然れども吾が形を伺見かきまみたまひしが、いと怍はづかしきこと」とまをして、すなはち海坂うなさかきて、返り入りたまひき。ここを以ちてそのみませる御子に名づけて、あま日高日子波限建鵜葺草葺合ひこひこなぎさたけうがやふきあへずの命とまをす。然れども後には、その伺見かきまみたまひし御心を恨みつつも、ふる心にえへずして、その御子をひたしまつるよしに因りて、そのいろと玉依毘賣に附けて、歌獻りたまひき。その歌、

赤玉は 緒さへひかれど、
白玉の 君がよそひ
貴くありけり。  (歌謠番號八)

かれその日子ひこぢ答へ歌よみしたまひしく、

おきつ鳥 鴨著く島に
我が率寢ゐねし 妹は忘れじ。
世のことごとに。  (歌謠番號九)

かれ日子穗穗出見の命は、高千穗の宮に五百八拾歳いほちまりやそとせましましき。御はかはその高千穗の山の西にあり。

  • 日子(ヒコホホデミの命)
  • ~とまをしたまひき(この種の説話の要素の一つである女子の命ずる禁止であり、男子がその禁を破ることによって別離になる。イザナミの命の黄泉訪問の神話にもこれがあった)
  • 八尋鰐になりて、匍匐ひもこよひき(大きなワニになって這いまわった)
  • 白玉の 君が(白玉のような君の容儀。下のシは強意の助詞)
  • つ鳥(説明による枕詞)

八.鵜葺草葺合へずの命

この天つ日高日子波限建鵜葺草葺合へずの命、そのみをば玉依毘賣の命に娶ひて、生みませる御子の名は、五瀬の命、次に稻氷いなひの命、次に御毛沼みけぬの命、次に若御毛沼わかみけぬの命、またの名は豐御毛沼とよみけぬの命、またの名は神倭伊波禮毘古かむやまといはれびこの命四柱。かれ御毛沼の命は、波の穗をみて、常世の國に渡りまし、稻氷の命は、ははの國として、海原に入りましき。

  • 若御毛沼の命(神武天皇。神武天皇の称は漢風の諡号【しごう】といい奈良時代に奉ったもの)
  • 神倭伊波禮毘古の命(大和の国の磐余【いわれ】の地においでになった御方の意)
  • の國(亡き母、豊玉毘賣の国)