古事記現代語訳(10)海佐知毘古と山佐知毘古~鵜葺草葺不合命

海佐知毘古と山佐知毘古
邇邇芸命と木花佐久夜比売夫婦の御子のうち、一番上の兄の火照命は「海佐知毘古(うみさちひこ)」として海に出て大小の魚を釣り、一番下の弟の火遠理命は「山佐知毘古(やまさちひこ)」として山に入って鳥や獣を獲って暮らしていました。
ある日、弟の山佐知毘古が兄の海佐知毘古に「たまには道具を取り換えてリョウをしてみましょう」と提案しました。
海佐知毘古は三度も断りましたが、弟があまりに熱心に頼むのでしぶしぶ承諾しました。

山佐知毘古は兄の釣り道具を持って海へ出ましたが、一匹も釣れず、ついには釣り針まで海に落としてしまいました。

兄の海佐知毘古はカンカンに怒り、「早く俺の針を返せ」と強く迫りました。
山佐知毘古は自分の剣を砕いて五百個もの針を作り、さらに千個の針を作って償いましたが、兄は受け取らず、どうしても「お前が失った俺の針を返せ」と譲りませんでした。

困り果てた山佐知毘古が浜辺で泣いていると、塩椎神(しおつちのかみ)という潮の神が現れ、尋ねました。
虚空津日高さん、あなたはどうして泣いているのですか?
これまでの経緯を聞いて同情し、「私が助けてあげましょう」と言って、隙間のない籠の小舟を用意し、彼を乗せてくれました。

塩椎神は「この流れの先に、魚の鱗のような屋根が並ぶ宮殿があるでしょう。それが海の神、綿津見神の宮です。あなたは門の傍にある井戸の横の湯津香木(ゆつかつら)に登って待っていてください。海神の娘が見つけて取り計らってくれるでしょう」と教えてくれました。
そう助言すると、籠の小舟を沖へと押し流してくれました。

山佐知毘古が、言われた通り桂の木に登っていると、やがて綿津見神の娘の豊玉比売の侍女が井戸に水を汲みにやってきました。

侍女が井戸を覗くと、とつぜん光が射したので、驚いて見上げてみると、立派な男性が立っていました

山佐知毘古が水を求めると、侍女は器に水を汲んで差し出しましたが、命は水を飲まずに首飾りの珠を口に含み、その器に吐き出しました。

その珠は器に張り付いて離れず、そのまま豊玉比売のもとに届けられました。
豊玉比売が見にくると、桂の木の上に立派な若者の姿がありました。

父の綿津見神も出てきて「この方は、虚空津日高、天の神の御子だ」と言って館に迎え入れ、アシカの皮八枚、絹の敷物八枚を重ねた座に座らせ、盛大にもてなしました。

そして娘の豊玉比売を、山佐知毘古の妻として差し出しました。こうして彼はその宮に三年も留まりました。
しかしある晩、山佐知毘古が深いため息をついたので、豊玉比売は心配し、父に相談しました。父の綿津見神は、山佐知毘古に理由を尋ねました。

彼はここに来た経緯と、兄の釣り針を探している旨を語りました。そこで海神は大小の魚を集め、ついに「食べ物が喉を通らないと」困っていた雌鯛の喉から釣り針を見つけ出し、きれいにして命に渡しました。

そして「お兄さんにこれを返すときは『淤煩鉤(おぼち)、須須鉤(すすぢ)、貧鉤(まちぢ)、宇流鉤(うるぢ)』と呪文を唱え、後ろ向きに渡してください」と教えました。

また「お兄さんが高地に田を作れば低地に、低地に作れば高地に作ってください。水は私が操るので、三年で兄さんは飢えるでしょう。もし兄さんが攻めてきたら潮満珠(しおみつたま)で溺れさせ、謝ってきたら潮乾珠(しおふるたま)で救ってあげてください」と言い、二つの霊玉を授けました。

そして鮫たちを呼び、「お前たちの中で、誰が天の御子を一番早く送り届けられるか?」と問うと、一匹の大鮫が「私なら一日で送れます」と答えました。綿津見神は、人が左右に手をひろげた大きさの一尋鮫に「決してあの方を怖がらせるなよ」と言って、山佐知毘古を任せました。

そして鮫は、山佐知毘古をその肩に乗せ、たった一日で地上に送り届けました。
山佐知毘古は、お礼として、紐の付いた小刀を鮫の首に結びつけたため、鮫は佐比持神(さひもちのかみ)と呼ばれるようになりました。
山佐知毘古は教えられた通りに呪文を唱え、釣り針を兄に返しました。やがて兄の田は水が来ずに凶作続きとなり、どんどん貧しくなって、弟を妬み嫌がらせをしてくるようになりました。
そのたびに山佐知毘古は潮満珠で兄を溺れさせ、兄が助けを求めれば潮乾珠で水を引きました。

ついに海佐知毘古は弟に頭を下げ、「申し訳ありませんでした。これからは一生、昼夜あなたの家を守り、奉公しますから」と誓いました。

その後、海佐知毘古、火照命は隼人の祖になりました。
鵜葺草葺不合命の誕生
山佐知毘古、火遠理命は海のお宮から地上に戻りましたが、残された妻の豊玉比売は身ごもっていました。

やがて臨月を迎え、「天の神の御子を海中で産むべきではない」と考え、海を越えて地上へとやってきました。

山佐知毘古は急いで産屋を建てました。
屋根は鵜の羽を重ねて葺きましたが、まだ作り終わらぬうちに豊玉比売は産気づき、中へと入りました。

そのとき姫は、「女性はみんな、自分の国の習わしで子供を産みます。私も本来の姿に戻って出産しますので、決して覗かないでください」と夫に頼みました。
しかし火遠理命は心配になり、隙間から覗いてしまいます。

そこには、八尋(やひろ)もある大鮫となった豊玉比売が、うなりながら出産する姿がありました。
山佐知毘古は大鮫を恐れて逃げ出し、豊玉比売は夫に覗かれたことをとても恥ずかしく思い、子供を残したまま「もうここへ通ってくることはできません」と言い残し、海の道を閉ざして帰ってしまいました。

こうして生まれた御子は、鵜の羽の屋根が葺き終わらぬ産屋で誕生したため、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と名付けられました。

お世話をする母のいない御子の養育は、豊玉比売の妹・玉依比売に任されました。
豊玉比売は恨みを抱きながらも夫を恋しく思い、妹に託して歌を贈りました。
「赤い玉はその紐まで光り輝くほど立派ですが、白い玉のようなあなたの姿は、さらに尊く美しい」

山佐知毘古はこの歌に応えて、

「水鳥の鴨が降り着く島で契を結んだ妻のことは忘れられない。この世の終りまでも」と誓いの歌を返しました。
山佐知毘古は高千穂宮に五百八十年留まり、やがてこの世を去りました。御陵は高千穂の山の西たにあります。

鵜葺草葺不合命の御子たち
成長した鵜葺草葺不合命は叔母の玉依比売を妃とし、五瀬命(いつせのみこと)、稲飯命 (いないのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)と、のちに神武天皇になる神倭伊波礼毘古命 (かむやまといわれびこのみこと)の四子をもうけました。

御毛沼命は常世国へと渡り、稲飯命は母の国である海原へ入りました。

末っ子の伊波礼毘古命が高千穂に残り、東征を経て天下を治めました。

古事記・読み下し文・注釈(武田祐吉・青空文庫より)
七.日子穂穂出見の命
海幸と山幸
かれ火照の命は、海佐知毘古として、鰭の廣物鰭の狹物を取り、火遠理の命は山佐知毘古として、毛の麤物、毛の柔物を取りたまひき。ここに火遠理の命、その兄火照の命に、「おのもおのも幸易へて用ゐむ」と謂ひて、三度乞はししかども、許さざりき。然れども遂にわづかにえ易へたまひき。ここに火遠理の命、海幸をもちて魚釣らすに、ふつに一つの魚だに得ず、またその鉤をも海に失ひたまひき。ここにその兄火照の命その鉤を乞ひて、「山幸もおのが幸幸。海幸もおのが幸幸。今はおのもおのも幸返さむ」といふ時に、その弟火遠理の命答へて曰はく、「汝の鉤は、魚釣りしに一つの魚だに得ずて、遂に海に失ひつ」とまをしたまへども、その兄強に乞ひ徴りき。かれその弟、御佩しの十拳の劒を破りて、五百鉤を作りて、償ひたまへども、取らず、また一千鉤を作りて、償ひたまへども、受けずして、「なほその本の鉤を得む」といひき。
- 海佐知毘古(海の幸のある男。サチは威力で、道具に宿っており、サチを有する者が獲物が多いのである)
- 毛の麤物、毛の柔物(獣類と鳥類)
- 海幸(海のサチの宿っている釣針)
ここにその弟、泣き患へて海邊にいましし時に、鹽椎の神來て問ひて曰はく、「何にぞ虚空津日高の泣き患へたまふ所由は」と問へば、答へたまはく、「我、兄と鉤を易へて、その鉤を失ひつ。ここにその鉤を乞へば、多の鉤を償へども、受けずて、なほその本の鉤を得むといふ。かれ泣き患ふ」とのりたまひき。ここに鹽椎の神、「我、汝が命のために、善き議せむ」といひて、すなはち間なし勝間の小船を造りて、その船に載せまつりて、教へてまをさく、「我、この船を押し流さば、やや暫いでまさば、御路あらむ。すなはちその道に乘りていでましなば、魚鱗のごと造れる宮室、それ綿津見の神の宮なり。その神の御門に到りたまはば、傍の井の上に湯津香木あらむ。かれその木の上にましまさば、その海の神の女、見て議らむものぞ」と教へまつりき。
- 鹽椎の神(海水の神霊。諸国の海岸にうち寄せるので、物知りだとする)
- 虚空津日高(日子穂穂出見の命)
- 間なし勝間の小船(すきまの無い籠の船。実際的には竹の類で編んで樹脂を塗って作った船であり、思想的には神の乗物である)
- 魚鱗のごと造れる宮室(魚のうろこのように作った宮殿。瓦ぶきの家で大陸の建築が想像できる)
- 湯津香木(井の傍の樹木に神が降るのは、信仰にもとづくきまった型である)
かれ教へしまにまに、少し行でましけるに、つぶさにその言の如くなりき。すなはちその香木に登りてまします。ここに海の神の女豐玉毘賣の從婢、玉盌を持ちて、水酌まむとする時に、井に光あり。仰ぎ見れば、麗しき壯夫あり。いと奇しとおもひき。ここに火遠理の命、その婢を見て、「水をたまへ」と乞ひたまふ。婢すなはち水を酌みて、玉盌に入れて貢進る。ここに水をば飮まさずして、御頸の璵を解かして、口に含みてその玉盌に唾き入れたまひき。ここにその璵、器に著きて、婢璵をえ離たず、かれ著きながらにして豐玉毘賣の命に進りき。ここにその璵を見て、婢に問ひて曰く、「もし門の外に人ありや」と問ひしかば、答へて曰はく、「我が井の上の香木の上に人います。いと麗しき壯夫なり。我が王にも益りていと貴し。かれその人水を乞はしつ。かれ水を奉りしかば、水を飮まさずて、この璵を唾き入れつ。これえ離たざれば、入れしまにま將ち來て獻る」とまをしき。ここに豐玉毘賣の命、奇しと思ほして、出で見て見感でて、目合して、その父に、白して曰はく、「吾が門に麗しき人あり」とまをしたまひき。ここに海の神みづから出で見て、「この人は、天つ日高の御子、虚空つ日高なり」といひて、すなはち内に率て入れまつりて、海驢の皮の疊八重を敷き、また絁疊八重をその上に敷きて、その上に坐せまつりて、百取の机代の物を具へて、御饗して、その女豐玉毘賣に婚はせまつりき。かれ三年に至るまで、その國に住みたまひき。
- 玉盌(美しい椀)
- その璵、器に著きて(水を汲んだお椀に、樹の上にいた神の霊がついたのである)
- 海驢の皮の疊八重(海獣アシカの皮の敷物を八重に重ねて)
- 絁疊八重(織ったままの絹の敷物八重をかさねて)
- 三年(この種の説話に出る決まった年数。浦島も龍宮に三年いたという)
ここに火遠理の命、その初めの事を思ほして、大きなる歎一つしたまひき。かれ豐玉毘賣の命、その歎を聞かして、その父に白して言はく、「三年住みたまへども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜大きなる歎一つしたまひつるは、けだしいかなる由かあらむ」とまをしき。かれ、その父の大神、その聟の夫に問ひて曰はく、「今旦我が女の語るを聞けば、三年坐しませども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜大きなる歎したまひつとまをす。けだし故ありや。また此間に來ませる由はいかに」と問ひまつりき。ここにその大神に語りて、つぶさにその兄の失せにし鉤を徴れる状の如語りたまひき。ここを以ちて海の神、悉に鰭の廣物鰭の狹物を召び集へて問ひて曰はく、「もしこの鉤を取れる魚ありや」と問ひき。かれ諸の魚ども白さく、「このごろ赤海鲫魚ぞ、喉に鯁ありて、物え食はずと愁へ言へる。かれかならずこれが取りつらむ」とまをしき。ここに赤海鲫魚の喉を探りしかば、鉤あり。すなはち取り出でて清洗ぎて、火遠理の命に奉る時に、その綿津見の大神誨へて曰さく、「この鉤をその兄に給ふ時に、のりたまはむ状は、この鉤は、淤煩鉤[#ルビの「おばち」はママ]、須須鉤、貧鉤、宇流鉤といひて、後手に賜へ。然してその兄高田を作らば、汝が命は下田を營りたまへ。その兄下田を作らば、汝が命は高田を營りたまへ。然したまはば、吾水を掌れば、三年の間にかならずその兄貧しくなりなむ。もしそれ然したまふ事を恨みて攻め戰はば、鹽盈つ珠を出して溺らし、もしそれ愁へまをさば、鹽乾る珠を出して活し、かく惚苦めたまへ」とまをして、鹽盈つ珠鹽乾る珠并せて兩箇を授けまつりて、すなはち悉に鰐どもをよび集へて、問ひて曰はく、「今天つ日高の御子虚空つ日高、上つ國に幸でまさむとす。誰は幾日に送りまつりて、覆奏さむ」と問ひき。かれおのもおのもおのが身の尋長のまにまに、日を限りて白す中に、一尋鰐白さく、「僕は一日に送りまつりて、やがて還り來なむ」とまをしき。かれここにその一尋鰐に告りたまはく、「然らば汝送りまつれ。もし海中を渡る時に、な惶畏せまつりそ」とのりて、すなはちその鰐の頸に載せまつりて、送り出しまつりき。かれ期りしがごと一日の内に送りまつりき。その鰐返りなむとする時に、佩かせる紐小刀を解かして、その頸に著けて返したまひき。かれその一尋鰐は、今に佐比持の神といふ。
- 喉に鯁(のどに刺さった骨があって)
- 須須鉤、貧鉤、宇流鉤(鉤を悪く言ってサチを離れさせるのである。ぼんやり鉤、すさみ鉤、貧乏鉤、愁苦の鉤)
- 後手(手をうしろにしてあげなさい。呪術の意味である)
- その兄高田を作らば~汝が命は高田を營りたまへ(毎年土地を選定して耕作するので、水の多い年には高田を作るに利あり、水の無い年はその反対である)
- 鹽盈つ珠(海は潮が満ち干するので、海の神は水のさしひきを司るとし、それはその力を有する玉を持っているからだと考えられた。動詞の「乾る」は古くは上二段活で、連体形はフル)
- 上つ國(人間の世界。上方にあると考えた)
- 一尋鰐(人が左右に手をひろげた長さのワニ。)
- 紐小刀(紐のついている小刀)
- 佐比持の神(鋤を持っている神。サヒは鋤であり武器でもある)
ここを以ちてつぶさに海の神の教へし言の如、その鉤を與へたまひき。かれそれより後、いよよ貧しくなりて、更に荒き心を起して迫め來。攻めむとする時は、鹽盈つ珠を出して溺らし、それ愁へまをせば、鹽乾る珠を出して救ひ、かく惚苦めたまひし時に、稽首白さく、「僕は今よ以後、汝が命の晝夜の守護人となりて仕へまつらむ」とまをしき。かれ今に至るまで、その溺れし時の種種の態、絶えず仕へまつるなり。
- かれ今に至るまで~絶えず仕へまつるなり(隼人が乱舞をして宮廷に仕えることの起原説明。隼人舞はその種族の独自の舞であるのを、溺れるさまの真似として説明した)
豐玉毘賣の命
ここに海の神の女豐玉毘賣の命、みづからまゐ出て白さく、「妾すでに妊めるを、今産む時になりぬ。こを念ふに、天つ神の御子、海原に生みまつるべきにあらず、かれまゐ出きつ」とまをしき。ここにすなはちその海邊の波限に、鵜の羽を葺草にして、産殿を造りき。ここにその産殿、いまだ葺き合へねば、御腹の急きに忍へざりければ、産殿に入りましき。ここに産みます時にあたりて、その日子ぢに白して言はく、「およそ他し國の人は、産む時になりては、本つ國の形になりて生むなり。かれ、妾も今本の身になりて産まむとす。願はくは妾をな見たまひそ」とまをしたまひき。ここにその言を奇しと思ほして、そのまさに産みますを伺見たまへば、八尋鰐になりて、匍匐ひもこよひき。すなはち見驚き畏みて、遁げ退きたまひき。ここに豐玉毘賣の命、その伺見たまひし事を知りて、うら恥しとおもほして、その御子を生み置きて白さく、「妾、恆は海道を通して、通はむと思ひき。然れども吾が形を伺見たまひしが、いと怍しきこと」とまをして、すなはち海坂を塞きて、返り入りたまひき。ここを以ちてその産みませる御子に名づけて、天つ日高日子波限建鵜葺草葺合へずの命とまをす。然れども後には、その伺見たまひし御心を恨みつつも、戀ふる心にえ忍へずして、その御子を養しまつる縁に因りて、その弟玉依毘賣に附けて、歌獻りたまひき。その歌、
白玉の 君が裝し
貴くありけり。 (歌謠番號八)
かれその日子答へ歌よみしたまひしく、
我が率寢し 妹は忘れじ。
世の盡に。 (歌謠番號九)
かれ日子穗穗出見の命は、高千穗の宮に五百八拾歳ましましき。御陵はその高千穗の山の西にあり。
- 日子(ヒコホホデミの命)
- ~とまをしたまひき(この種の説話の要素の一つである女子の命ずる禁止であり、男子がその禁を破ることによって別離になる。イザナミの命の黄泉訪問の神話にもこれがあった)
- 八尋鰐になりて、匍匐ひもこよひき(大きなワニになって這いまわった)
- 白玉の 君が裝し(白玉のような君の容儀。下のシは強意の助詞)
- 奧つ鳥(説明による枕詞)
八.鵜葺草葺合へずの命
この天つ日高日子波限建鵜葺草葺合へずの命、その姨玉依毘賣の命に娶ひて、生みませる御子の名は、五瀬の命、次に稻氷の命、次に御毛沼の命、次に若御毛沼の命、またの名は豐御毛沼の命、またの名は神倭伊波禮毘古の命四柱。かれ御毛沼の命は、波の穗を跳みて、常世の國に渡りまし、稻氷の命は、妣の國として、海原に入りましき。
- 若御毛沼の命(神武天皇。神武天皇の称は漢風の諡号【しごう】といい奈良時代に奉ったもの)
- 神倭伊波禮毘古の命(大和の国の磐余【いわれ】の地においでになった御方の意)
- 妣の國(亡き母、豊玉毘賣の国)















